東洋学園大学 史料室

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2008年度11月 月報

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2008年11月1日~16日文京ミューズウィーク2008

 文化の日を中心に11月1日(土)~16日(日)の間は、文京ミューズウィーク2008(文京区・文京ミュージアムネットワーク)でした。この間、本学史料室は1(土)、3(祝)、9(日)、15(土)の土休日開室を行ないました。担当者一人ですので勤務の都合上、飛び石の開室日とせざるを得ませんでしたが、この間、近隣の方など40名ほどのご見学がありました。

2008/11/01

▲ミューズウィークポスター

2008年11月10日往訪・卒業生取材、史料調査

 練馬区在住の歯科医専卒業生のご自宅に伺い、もう一方の同期生の方にも同席していただきながらお話を伺い、写真を中心とした史料を拝借しました。また、本年度第27回全日本歯科美術展(DAJJ全日本歯科美術連盟)出展作品(油彩 SM)をご寄贈いただきました。

2008/11/10

▲表札。「東洋歯科医学士」は歯科医専時代の学士号です。卒業すると校名を冠した歯科医学士号が卒業証書とは別に授与され、昭和22年4月以降、現行の歯科医師国家試験制度が始まるまでは卒業・学士修得=歯科医師免許交付(歯科医籍登録)となっていました。歯科大学の史資料室に行くと同様の表札を見ることがあります。

2008/11/10

▲1947(昭和22)年6月10日、または10月25日の津田沼仮校舎における運動会の後の教職員。津田沼仮校舎は陸軍戦車第2連隊(秘匿名:東部第9部隊)の駐屯地だった施設で、現在は日本大学生産工学部となっています。前列左から3人目は岩橋章教授(口腔外科学・附属病院副院長、後に日本女子衛生短大教授)、右端は入交直重教授(補綴学・附属病院長、後に日本歯科大学教授、社団法人日本歯科医師会会長)、後列中央は馬渡一得第4代校長(内科、後に東洋女子短大初代学長)、右は総山孝雄教授(保存修復学、後に東京医科歯科大学教授、日本学士院会員)。女性は自校出身の医局助手ら。

2008/11/10

▲同地点定点撮影(許可を得て撮影。手前は戦車第2連隊碑)。

2008年11月12日ミューズウィーク合同展

 文京区役所(シビックホール)1階ギャラリーシビックにおいてミューズウィーク合同展がありました。1日だけの開催でしたが、500名の来館者にご覧いただきました。

2008/11/12

▲手前の展示ケースが本学史料室です。手前から1937年初版(1946年第3版)の『組織学総論』テキスト、敗戦直後の『系統解剖学』ノート(骨学のページを開いています)、1956年初版(1957年再版)の青木常雄名誉教授著”NEW COLLEGE GRAMMAR”。

2008年11月14日学会1

 第21回日本歯科医学会総会(パシフィコ横浜)に参加しました。歯科の歴史をやる上で現状も知っておくようにという助言もあり、ポスターセッションにおける歯科医学史関係の他、他のジャンルの発表、テーブルクリニック、併催行事のデンタルショーなどを廻りました。巨大なパシフィコ横浜で幾人か既知の方にお会いでき、ポスターセッション会場でご説明いただけたのは幸いでした。
  詳細は下記をご参照下さい。

http://www.jads.jp/21stGM/

2008年11月20日史料寄贈

 20日、見学に来られた歯科医専OG3名の方から、それぞれ史料の寄贈がありました。
 展示してある敗戦後第1回(戦災焼失後初)の1946(昭和21)年卒業式答辞をご覧になって、先生方の代のお話になったところ、本日いらっしゃった制帽の寄贈者である石川先生が書いたご本人であることを伺い(読んだ総代は別の方)、収蔵棚から出してご覧になっていただきました。60年ぶりに手にとり、流麗な変体仮名で書かれた自らの書を一字一字読むお姿を端で見て、感慨深いものがありました。

2008/11/20

▲鈴木美佐子先生寄贈、蝋製ガラスケース入り上下顎骨断面模型。お父上が使用されていた1919~20(大正8~9)年製ということで、本学はまだ発足前、前身である明華女子歯科医学専門学校も専門学校令による認可の前、明華女子歯科医学校(各種学校)と称していた頃です。

2008/11/20

▲鈴木彧子先生執筆による、同じく歯科医師であったご母堂の伝記。装丁は児童文学者の加古里子氏。

2008/11/20

▲ご母堂は飛び級で尋常・高等小学校を卒業した後、大分県中津市の歯科医院に勤める間に歯科医を志して単身上京、医院で書生をしながら東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)の講習所(夜間部)に通いながら独学し、歯科医術開業試験に合格、1919年に歯科医籍第5343号に登録されました。中津は福澤諭吉の出身地(生地は大阪)であり、福澤の慶應義塾で学び、日本人公許歯科医の嚆矢となった小幡英之助の出身地でもあります。

2008/11/20

▲石川総子先生寄贈。1948年、第3回の歯科医師国家試験(学説試験4月4~7日、実地試験11~29日)の問題と、7月28日付合格通知。合否は各学校(当時は歯科医専と旧制歯科大学の混在期)に送られ、教務課から各人に通知されたことが分かります。現品の表面を見るとハガキであるにも拘らず一杯に追加の切手が張られ、経済混乱によるハイパーインフレーションが止まない様子が伺われます。

2008年11月21日往訪・卒業生取材

 茨城県笠間市で総合病院を経営する歯科医専19回生OGを訪問しました。今年の『東洋学園だより』で紹介させていただいたところ、入学案内書や『東洋学園八十年の歩み』を持参してご出身の水戸第二高校(旧制水戸高等女学校)をはじめ、近隣の高校数校に”広報活動”を行なっていただくなど、多大なご協力をいただいています。
 先生は笠間藩御殿医の系譜に連なる医家のお生まれで、水戸高女、日本赤十字社中央病院救護員養成部(現日本赤十字看護大学、港区広尾日赤医療センター内)を経て昭和19年東洋女歯を卒業しました。兵役同様、召集令状(従軍看護婦召集令状と通称)が来れば戦地へ赴く看護師の学校に対し、歯学の学校は恵まれた環境に思えたそうです。卒業後郷里で開業すると、男尊女卑の考えの強かった時代ゆえ、女医とは生意気だと石を投げ込まれたことも再三と伺いました。戦後、京都大学医学部卒の故ご主人様と結婚され、歯科医院を総合病院まで育て上げられました。ご長女は医科、次女の方は歯科の道に進み、それぞれのご夫君とも都内、神奈川県で総合病院、大学病院の院長を務められる医療専門職のご一家、文芸評論家の故・小田切秀雄とも縁戚として繋がります。
 現地を訪れ、きびきびした中にも暖かい雰囲気の病院スタップの様子を伺い、地域の医療に貢献する様を目の当たりにしてきました。

2008/11/21

▲内科、小児科、呼吸器科、循環器科、消化器科、アレルギー科、そして歯科の総合病院として、地域医療の重要な拠点となっています。

2008/11/21

▲病院の隣は日本三大稲荷の一つとされている笠間稲荷神社で、菊祭終盤でした。

2008/11/21

▲笠間焼で知られる笠間市には茨城県立陶芸美術館の他、笠間日動美術館、北大路魯山人の旧居・春風萬里亭があり、芸術性の高い小都市です。写真は日動美術館。

2008年11月22日学会2

 歯科医学教育史(歯科医史)を勉強するには医学教育史(医史)も踏まえる必要があるという歯科大学研究者のご助言に従い、日本医史学会11月月例会(順天堂大学)に出席しました。11月はシンポジウム「森林太郎と森鴎外」でしたので、国文系の筆者にもとっつき易いだろうという配慮の上のお誘いだったようです。
 鴎外は文京区との縁が深く、2年前に本学ことばを考える会主催で森まゆみ先生の講演会を行なった際、広報用ポスター作成のため団子坂にある文京区立本郷図書館鴎外記念室で肖像写真を拝借したことがありました(鴎外記念室はミューズネット加入施設の一つ、現在は改修工事のため休館中です)。現在開催中の文京ふるさと歴史館特別展「博物館で見る -ぶんきょう食の文化展-」でも勿論、鴎外が採り上げられています(12月7日まで)。
 12月は医史・歯科医史・薬史・獣医史・看護史合同学会に出席する予定です。

2008年11月26日往訪・日本歯科大学新潟生命歯学部 医の博物館

 日本歯科大学新潟生命歯学部医の博物館を見学しました。医学系大学では唯一の登録博物館ですので、できれば史料室の構想を固める前に参考のため見学したかったのですが、昨年は機会を得られませんでした。
 当日は日頃よりご指導いただいている博物館の学芸員・事務長の樋口輝雄先生がお待ち受け下さり、以後4時間に亘り綿密なご説明をなさって下さいました。入口から早々、近代解剖学の父といわれるヴェサリウス(Andreas Vesalius)『ファブリカ(人体構造論)』第2版(1555年)等の稀覯書に目をひかれます。ジェンナー(Edward Jenner)『牛痘法の研究』や『ターヘル・アナトミア』等、既知のものもありますが、『ターヘル・アナトミア』一つを例にとってもオランダ語、ラテン語、フランス語、ドイツ語版と各国語が揃っている充実ぶりです。オランダ語版が日本に渡って杉田玄白『解体新書』に翻訳され、またそれ以前の山脇東洋『臓志』など、教科書参考書でお馴染みの和書も揃っており、実物からは忘れられない印象を受けます。
 歯科は明治以前の欧米の歯科医人から始まり、昨年前半は知る術も見当たらなかったブラック(G.V.Black)など、肖像と共に著作がぎっしりと揃っています。校友会誌『東洋女歯校友』に「1930(昭和5)年4月12日、大日本医学会出席のため来日中のノースウエスタン大学歯科部長ブラック博士来校」の記事があり、このブラックが近代歯科医学の父と称されるG.V.Blackの子息A.D.Blackと分かるまでかなりの時間を要したことを思い起こすと、苦笑せざるを得ません。近代医制以前の口中医、医制が定まるまでの過渡期の史料、各時代の医療器具などは、展示というより収蔵庫を思わせるほど大量のコレクションがあります。足踏みエンジンなど電化以前の大きな歯科治療器具は、ただ陳列するのでなく、フィギュアと共に19世紀欧米の歯科医院の一室を再現してありました。
 これら史料を見ていると、明治の家父長制が中央集権国家によって制度化される以前の時代、存外女性の口中医は多かったように思いました。
  美術館的要素もあります。歌川国芳、渓斎英泉らの房楊枝(歯ブラシ)、お歯黒等、歯科、医科に関する風俗が描写された浮世絵が多数展示されており、詞書の説明を伺っていると、江戸末から明治初期の、駄洒落とパロディの徹底した戯作文化を実感できます。また収蔵品から触れてよいものを出していただき、繊細な技法を直接手で触れて確かめさせていただきました。
 最後に別室の校友会関連展示室を見学させていただき、平素は郵送で送っていただく参考資料を手渡しでお譲り(または貸与)下さりました。あらためてご厚意に深謝申し上げます。退出すれば既に日は大きく西に傾き、振り返ると正門を入ってすぐ左が附属病院、右に博物館、1階はレストラン(学食)、喫茶室になっており、校舎はその奥に配置され、病院・博物館には市民が入り易いよう配慮されて配置されていることが分かります。
 新潟まで来たので、帰路は程遠くない會津八一記念館に立ち寄りました。早稲田大学で受けた博物館実習は、本キャンパスにある會津八一記念博物館を使って行なわれました(8月記事参照)。新潟市は會津八一の生地であり、終焉の地でもあります。歌人、俳人、教育者、東洋美術史研究者など、多彩な顔を持つ會津八一ですが、記念館は主に書家としての會津八一を展示紹介していました。

2008/11/26

▲博物館施設外観

2008年12月11日12月予定

全国大学史資料協議会東日本部会 研究会

日時:12月11日(木) 午後2時~5時

会場:本郷1号館フェニックスホール・4号館史料室

報告:東洋学園大学における年史編纂と史料室設置までの経緯

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