東洋学園大学 史料室

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2009年4月1日全国大学史資料協議会東日本部会会報

 3月31日付で全国大学史資料協議会東日本部会会報『大学アーカイブズ』No.40が発行されました。昨年の第63回東日本部会研究会(12月11日)における報告「東洋学園大学における年史編纂と史料室設置までの経緯」の抄録(要旨)が掲載されました。

2009年4月1日流山キャンパス分室「大学史展示コーナー」

 2006年3月、短期大学閉鎖を期に設置された流山キャンパス9号館1階の一室及び同室前の玄関ホールに設置された「東洋学園アーカイブス」(*名称は当時)は2008年4月、本郷キャンパスに「東洋学園史料室」として移転の上、再発足しました。今般、流山の展示室は他の目的に転用してホールのみに縮小の上、パネルを全て更新しました。ホールにはLGSを立ててパネル増設用の新たな壁を設置し、また配線の上、スポット照明を取り付けました。
 本記事の他、沿革・史料室トップ→流山キャンパス分室「大学史展示コーナー」 もご覧下さい。

 旧パネルです。本学では初の大学史に関する常設展示でした。短大最終卒業式当日の開室を目標として約1年を準備に充てましたが、校・社史に関わる方にはお分かりの通り、この時間は大変短いものです。また、過去に本学では本格的な大学史編纂を行ったことがなく、前回の周年行事記念誌の編纂に当たった主要な人物は既に物故しています。戦前の旧制時代まで遡った大学史編纂は「東洋学園アーカイブス」完成後、次の年度の事業でした。つまり調査・編纂より展示が先行した結果、記述内容に多くの誤りが発生してしまいました。
 一例として、左の壁に3名の歴代理事長が掲げられていますが、1951年の学校法人化以前のことが分からなかったため、これ以前の財団法人時代のことが完全に欠落しています。
 また、内容とともに、「見せる」という展示の本質にかかわる問題として、ポートレートの1枚を拡大してみましょう。

使用写真はこのような印刷物からの写しがほとんどで、本来パネルへの拡大使用に耐えられないものです。

新パネルに使用した同一人物(宇田 愛)の写真です。キャプションでは「初代」から、「第三代」理事長に訂正しました。

 旧パネルは主にテキストによる説明です。テキストには従来の二次資料の記述が、一次資料による検証を経ずに引用され、また近年、各大学で見直されつつある「美化された自校史からの脱却」という観点からも、執筆姿勢の修正が必要でした。
 学内からは内容以前にデザイン、体裁に関する改善要求がかなりありました。また、パネルの素材も長期使用に耐えられない材質だったため、褪色、剥がれ、反りなどの劣化が進行しています。

同壁面の新パネルです。ここでは旧設置校の概略と重要人物の説明だけに留め(以下、次の写真へ)、

 新たに右側(北面)にパネルを設け、歴史は下部の年表で簡潔に説明し、イメージ(写真・資料画像)による伝達を主としました。ここは廊下に繋がる通路であり、ホール前のガラス面越しからも含め、見学と言うより「通りすがりの流し見」が主体となる前提で計画しました。より詳しくは本郷へ、あるいは刊行物で、というのが基本姿勢です。
 ただ正直なところ、『年表 東洋学園史』編纂校正と同時進行で時間不足は否めず、全体の構成やレイアウトなどはやや消化不良気味です。もう少し推敲したかったのですが。
 今回の更新での最大のポイントはこの北面で、この壁の奥には開口部(窓)が二つあります。窓や在来の壁のメンテナンスを考慮して一定の間隙を空け、窓を塞ぐ形で新たな壁を立てました。これにより展示スペースを確保するとともに、遮光することでより照明効果を上げることが可能となります。

北面の新しい壁が立ち上がった状態です。天井は既存の照明(ダウンライト)をそのまま残し、新たに配線ダクトを設け、演出用のスポット照明を取り付けました。

前記人物紹介のあった壁面は、メインである本郷キャンパス史料室の案内としました。

 こちらは室内の旧展示室で、現在は撤去済みです。旧アーカイブス立ち上げに関わった先生方には大変申し訳ないことになりました。深くお詫び申し上げます。
 この室内のパネル類は旧アーカイブスのスタッフが短大同窓会役員となっていますので、本郷の短大同窓会事務局にお預けしました。今後、同事務局内外にこのパネルの内の幾点かを再掲出する計画です。同事務局には意図して史料室と同じ4号館6階に移転していただきました。今後は協同して階床全体の歴史的演出を行えればと思います。

2009年4月1日流山キャンパス分室設置工事2

 分室展示設置工事中の3月31日に、聖路加看護大学図書館大学史担当者のご見学がありました。同大では本年度中に大学史の展示を予定なさっており、現場を実際にご覧になっていただきながら、さまざまなご質問にできる限りお答えしました。

2009年4月14~20日IOC(国際オリンピック委員会)評価委員訪日視察 プレスセンター
出張展示

 本記事も沿革・史料室トップにあるオリンピック招致活動協力を併せてご覧下さい。
 IOC(国際オリンピック委員会)評価委員訪日視察に伴うプレスセンターの設置にあたり、同センターの置かれた六本木ヒルズ49階アカデミーヒルズで、「第18回オリンピック東京大会における文部大臣・愛知揆一関連資料」出張展示を行いました(一般非公開)。史料室所蔵の第18回オリンピック東京大会関連資料約60点の内、38点及びパネル4点で構成しました。経過は以下の通りです。

3日(金) 代理店を通じ招致委員会より展示要請
6日(月) 都庁にて招致委員会と打ち合わせ、帰校後直ちに作業着手
8日(水) パネル・キャプション原稿入稿締め切り
8~9日(木) 展示計画作成
10日(金)パネル・キャプション最終校正(和・英文)、展示品搬出準備(梱包)
13日(月) 現場搬入、展示作業
20日(月) 撤去、梱包、搬出
21日(水) 整備、再収納

 展示計画を立てる暇もなく入稿締め切りが来るという過密な日程で、やむなく机上想定でやや過剰気味に仮の展示リスト(原稿)を作成して入稿し、その後、校正と並行して横13mのショーケースに合わせた展示計画を立案します。その結果、

1. 愛知個人に関して
2. 国際オリンピック委員会
3. 運営報告書(等)
4. 大会記録(等)
5. グッズ

の章立て(分類)としました。事前準備として各資料のサイズを計測し、正確な名称及び附帯情報を記録するという作業も必要です。
 パネルについては、

1. 展示タイトル
2. 愛知揆一ポートレート
3. I はじめに 愛知揆一について / II 愛知揆一と学校法人東洋学園
4. III東洋学園大学(学校法人東洋学園)について

の4枚としました。13mの幅に対し、これではまだまだ寂しいのですが、時間的に限界でした。

 一般には非公開でしたが、新聞、週刊誌各1社が取り上げて報道しています。

 愛知揆一は戦前から学校法人東洋学園(当時は学校法人の制度はなく、財団法人東洋女子歯科医学専門学校)の役員を務め、特に1956~1964年の間、本学(短大)第二代学長の任にあり(中断あり)、東京オリンピック開催時は池田勇人内閣文部大臣でした。当史料室の所蔵する資料群はオリンピック組織委員でしか持ち得ない運営資料が過半を占め、そこが一般コレクターのコレクションとは異なるところです。
 このポートレートは今回の展示に際し、既存の写真では大きな引き伸ばしに若干支障を感じたため、愛知家に依頼して新たにご提供いただいたものです。

展示作業開始直前、ケース内には何もない状態です。

キャプション、卦算、台紙、その他作業用の小道具。

 書籍は見開きの場合、薄い側の下に“あんこ”を置きます。ウレタン系のクッション材を適宜カットして使います。その上で閉じないようにビニールパイプに通したテグスを使ってピンで固定します。グレーの台紙も展示品に合せて現場でカット。
 ここで見せている写真はニクソン大統領(当時)が愛知揆一外相(当時)に禁煙を止めるよう言い、大統領自ら火を勧めているところ。愛知揆一は沖縄返還交渉のメドが立つまで自らに禁煙を課していました。つまりこの写真は、沖縄返還の日米交渉が妥結した瞬間の記録です(『ステーツマン 愛知揆一追想録』口絵)。
 書籍の左上、壁にピンで打った若干大きめのキャプションが「章」を示します。個々の展示品には招致委員会が和英併記のキャプションを外注してくれましたが、こちらは時間がなかったため、スチレンボードに出力紙を張った自家製です。今考えると罫線ぐらい引いてもと思いますが、徹夜続きでまったく余裕がなかった結果です。
 その上はパネル。

オリンピック組織委員を示すバッヂ、IDなど。

第四十八回通常国会「オリンピック記念青少年総合センター法案」大臣答弁用資料(1965年2月)。

第62次国際オリンピック委員会総会開会式における昭和天皇の開会宣言。日英仏三ヶ国語の内、英語バージョンを展示。

これは他でも見られる聖火リレー用トーチです。推定未使用品。これも転動しないよう、テグスで固定しています。

 地図は直接ピンで打ちつけて痛めないよう、プラケースに挟んで間接的に止めました。壁の材質が硬く、虫ピンが深く入らないので、ピンが飛び出さない長さで切断して使用しています。
 今回の展示作業では本郷、流山両キャンパス史料室の設計、施工にあたった(株)商華堂より作業者を一人派遣していただき、助っ人をお願いしました。この写真のようなちょっとした工夫も、経験(と材料の想定及びストック)がなければ思いもつかないことで、一人でやっていたら間違いなく資料に直接ピンを打ち込むつもりでした。

完成。16時から作業を開始して22時過ぎです。

期間中のアカデミーヒルズ入り口。

2009年4月21日~28日『年表 東洋学園史』発送

 想定外のオリンピック招致関連業務のため2週間着手が遅れました。3月31日付記事で報告した『年表 東洋学園史』の外部向け発送作業を行いました。

 特にご協力いただいている歯科医専、短大卒業生に26冊、学外(全国大学史資料協議会東日本部会会員校アーカイブズとこれまで資料をいただいている一部の西日本会員校、「旧6…伝統校」を中心とする歯科大学、ご助力いただいている日本歯科医史学会員、旧設置校の教員ご遺族、国立国会図書館など)134冊です。『東洋学園八十年の歩み』未送付の方には、同書も添付しました。送付先により送り状の内容を使い分け、個人あてには原則手書きの一筆も添え、本の組み合わせ、冊数も異なり、結構な作業量です。

2009年4月23日神奈川県歯科医師会「歯の博物館」訪問

 横浜市中区の神奈川県歯科医師会館にある「歯の博物館」に、『年表 東洋学園史』を持参して館長の大野粛英先生(歯学博士)を訪ねました。大野先生は港北区で開業されている臨床家でもあり、矯正歯科学会など多方面に関わられている大変お忙しい身でありながら、事務局学術担当の方とともにお待ち下さっていました。
 昨年の歯科医史学会学術大会(鶴見大学)の折、ご紹介があって連絡を差し上げたところ、たちどころに本学で欠品だった『東洋女歯校友』5冊、他資料1点をお送り下さった経緯は昨年10月8日付記事に書いた通りです。以来お礼かたがた訪問をお約束しながら、半年以上も経ってしまいました(最近、お約束をしながら実現がいずれも半年程も遅れるまでにスケジュールが過密になってきており、心苦しく思っています)。
 博物館の展示は実に行き届いたものでした。洋の東西に亘る内容の充実もさることながら、分類整理の方法と的確な解説資料、特に地元横浜に関する開国初期の西洋歯科医に関する研究の成果はここでしか見られないものです。これらを一つ一つ、丁寧にご説明していただきました。
 その上、帰りがけには大野先生と羽坂勇司先生の共著になる『目で見る 日本と西洋の歯に関する歴史』(本年1月刊行)、及び加藤増夫先生著『近代歯学史と神奈川』をご恵贈下さいました。『目で見る 日本と西洋の歯に関する歴史』の著者の一人である羽坂先生は医師(医学博士)、歯科医師であるとともに、旧制青山学院高等商業学部も卒業された学校法人青山学院前理事長です(ちなみに筆者の出身校です)。歯科の歴史に関する資料は特定の分野や人に特化したものが多く、博物館収蔵史料をふんだんに使用した「通史」は、まさにこのような研究成果が出るのを待っていたと申しても過言ではありません。
 同書は史料室の資料となりますが、一読、旧歯科医専である本学にあってしかるべきものと思いましたので、選書として別途購入するよう本学図書館にかけあい、図書館も快く応じて下さったので、近いうちに閲覧することが可能となります。

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