東洋学園大学 史料室

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2008年度8月 月報

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2008年8月博物館学芸員資格課程履修

 史料室の担当者は出身大学を学芸員課程履修半ばで卒業しました。史料室業務は調査、収集、保存、修復、展示、教育普及という博物館業務とほぼ重なりますので、古くなった知識の更新、保存・修復・展示技術修得の必要を感じていました。このため今年度、機会を得て早稲田大学文学学術院文学部科目等履修生として「博物館実習」(3単位)他、残余の省令科目を履修することになりました。従って7月下旬から9月初旬までの集中講義・実習の間、常設展示以外の業務をほぼ停止しました。
 早稲田大学には本学の「フェニックス・モザイク」制作者である故・今井兼次先生(早大理工科建築学科卒、同大名誉教授)の設計した會津八一記念博物館(2号館旧図書館)、演劇博物館があり、文学部キャンパス(戸山キャンパス)の故・村野藤吾先生(早大理工科建築学科卒、同大名誉博士)設計の校舎では、今井兼次先生ご子息で早大理工学部出身の今井兼介先生が村野・森建築事務所員として設計に参加されています。現在、その33号館高層棟は解体工事着手目前ですが、今井先生より設計当時のエピソードをいろいろお伺いしてから早稲田に行くことができました。
 学芸員課程の授業・実習では知識、技術はもとより、どの先生方(ほとんどが現役・元学芸員)も強調されたのは、「人との繋がり」ということでした。以下、筆者の勝手な解釈ですが、人の縁は離別や死別によっていつかは切れていきますが、良い組織ほど過去の縁を大切に保持しているように感じます。それは本日、今の縁だけに頼るより、はるかに倍する厚みがあります。
 史料室では旧制期、新制初期の卒業生、旧教員ご遺族、旧制歯科医専を出自とする大学とのご縁を再び結ばせていただくことができましたが、今井先生もまたそのお一人です。本講座コーディネーターであるO先生の担当する「博物館概論」は修得済みなので直接お教えを受けませんでしたが、今井兼次、今井兼介両先生との早大舞台美術研究会を通じた繋がりを伺っていたため、O先生に本学を紹介させていただく機会を得られました。他にも詳細は省きますが、実習担当のS先生と旧東洋女子短大英語英文科学科長故・星山三郎先生との繋がりも、校史編纂をしていなければ気付かずにやり過ごしていたことです。偶然ながら両今井先生のはるか直系の後輩である理工学部建築学科修士課程の方と一緒に学べたことも、あらためて縁というものを考えさせられました。
 早稲田大学と指導担当の諸先生方、職員、TAの皆様、席を同じくさせていただいた早稲田の学部生、院生、卒業生、他大学の学生、博物館、企業史料室勤務など多士済々な社会人学生の皆様には大変お世話になりました。ご理解、ご協力下さった学内各位も併せ、深く御礼申し上げます(単位認定はまだ先の話ですが)。

 本学近隣の文京ふるさと歴史館でも博物館実習の受け入れを行なっています。先月29日に館外実習の一環(偶然?)として同館専門員K氏引率の下、学習院・東洋・日本女子大学の実習学生5名が史料室見学に来て下さいました。筆者自身、同じ立場であり、これも感慨深いできごとです。

2008/08

▲実習の場である早大會津八一記念博物館の扉。ここにも今井兼次の精神が息づいています。

2008/08

▲“文キャン”33号館高層棟。今井兼介先生によれば、上階に行くほど柱が細くなる構造で、柱の仕上り見付け寸法は当時早大教授で耐震構造の権威だった故・内藤多仲先生が担当されたとのこと(内藤多仲は東京タワーの設計者として高名)。残念ながら今日の耐震基準に満たないとされ、近く姿を消す運命にあります。

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