東洋学園大学 史料室

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2008年度5月 月報

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2008年5月7日ゼミ見学 人文学部人間科学科・鈴木義也ゼミ

2008年5月13日OGご家族様より籠花を頂戴しました

 歯科医専20回生のご家族(ご子息)様より生花を頂戴しました。歯科医専卒業生は概ね医師・歯科医師の家のお生まれですが、ご子息様のご母堂(中野区現役歯科医)は新潟県の事業家の家に生まれ、波乱万丈な半生を送ってこられました。
  昭和20年3月卒業後、長崎医科大学(現長崎大学)に勤務し、8月に爆心直下で被爆。九死に一生を得た後、学校(東洋女歯)の紹介により米第8軍361 Station Hospital(同愛記念病院を接収)に勤務されました。同病院勤務中、巣鴨に収監中の東條英機元首相・陸軍大将の総義歯用印象から模型を作成し、現在も自宅医院に保管されています。この総義歯床には作成した米軍歯科医の手によりモールス符号で”Remember Pearl Harbor”と刻印され、騒ぎになりかかって削除したといういわくがあるものです。
このエピソードも含め、ご自宅で詳細に伺いましたので、お許しがあればいつか発表したいと思います。なお、読売新聞西部本社版『消えない刻印 戦後60年1~5』(平成17年7月14~18日連載)に、元米軍歯科医のインタビューを中心とした連載記事が発表されています。

2008/05/13

2008年5月14日ゼミ見学 人文学部人間科学科・水野節子ゼミ

2008年5月15日リーフレット納品

2008/05/15

▲内容は当ホームページとほぼ同じです。

2008年5月16日歯科医専20回生「はたちの友」

 昭和20年卒業・第20回生にちなみ、本学附属病院長・故入交(いりまじり)直重教授(1887~1960 後に社団法人日本歯科医師会会長)より「はたちの友」と命名された20回生クラス会。前日より1泊2日のクラス会に14名の方が参加、内7名が2日目に母校(史料室)訪問にいらっしゃいました。宮崎県都城市、三重県員弁郡から遠路お越しの方もあり、日本に2校しかなかった女子歯科医専時代、学生が外地を含め全国に満遍なく亘っていたことを実感します。幹事の方(茅ヶ崎市現役歯科医)は卒業式に来賓としてご出席いただき、続けて今回もで大変ご苦労をおかけいたしました。
  新1号館各施設見学の後、4号館史料室へ。在学中(昭和16~20年)前後のパネルではさすがに卒業生、写真に写っている個々の方のお名前を次々に特定され、当時の思い出やその後の消息を伺いました。昨秋の23回生訪問の時と同様に、ご昼食の席には一ノ渡学長、原田副学長が同席して歓談を尽くした後、散会となりました。
  こんな立派な設備の校舎で勉強したかったと口々に感想を述べられる中、贅沢に過ぎるとおっしゃる方もあり、戦中戦後、筆致に尽くし難いご苦労をされた20回生ですので無理もないことと思います。在学生はこの思いを受け止め、勉学に励んでもらえればと思います。
  三重県からご参加のOGには、中部日本放送がラジオ番組制作のため同行していました。女性の自立と社会進出のさきがけを担い、今も現役で歯科医療を続ける日々がラジオドキュメンタリーとして放送されます(中部3県対象で5月29日放送)。

2008/05/16

▲63年の歳月を経て、旧本館の位置に建つ1号館屋上で。眼下の東京ドームは戦時中、高射第1師団高射砲第118連隊陣地となり、空襲時には砲撃音が酷かったこと、後楽園にあった名画座のこと、壱岐坂下のお風呂屋さんのことなど、思い思いに語っておられました。ヘッドセットの女性は中部日本放送の方。

2008年5月16日日本歯科医史学会第367回例会出席

2008年5月22日故・和久本文枝先生ご家族来室

 和久本文枝先生(1904~1982)は松戸徳川家(徳川昭武家 屋敷は国指定重要文化財・戸定邸)御殿医の岡家に生まれ、本学の前身・明華女子歯科医学専門学校に大正13年入学、在学中の大正15年に東洋女子歯科医学専門学校に改組(東洋学園創立)、昭和3年に卒業後、文部省歯科医師試験附属病院(現東京医科歯科大学)医局に内地留学を経て母校に着任し、口腔外科学で助手から講師、助教授、教授と階梯を上りました。県立松戸高女在学の頃は音楽の道に進む意志もあったため、昭和4年には創立者・宇田尚先生の詞に曲をつけ校歌を制定されました。
  同校廃校後は再び東京医科歯科大学で研鑽を積まれて医学博士号を取得、母校を失った同窓生のため臨床研究会和泉会を主催、廃校となったもう一つの女子歯科医専である日本女歯の向井英子先生と共に全国婦人歯科医師会を組織、東洋女歯同窓会「紫苑会」会長を亡くなるまで務められました。医学者としてはもとより、昭和30年代後半に「東洋女子歯科大学」設置認可寸前まで推進されたオーガナイザーでもありました。
  本日は本郷三丁目にお住まいの、文枝先生ご長女ご夫妻がお見えになりました。ご夫君は歯科保存学を専門とされる医学博士で東京医科歯科大学助教授、東北大学教授等を経て昭和大学名誉教授、歯科医学界での高名は勿論のこと、今日の若い歯学部学生にも保存修復の教科書執筆者として著名でいらっしゃいます。東洋女歯末期の教員で国家試験合格率全国2位の立役者だった故総山孝雄東京医科歯科大学名誉教授門下、昭和初期の東洋女歯附属病院長であった川上みね教授のご長男である川上道夫東北大学名誉教授(昨平成19年4月逝去)とは同期であり、その幅広い人脈からご夫妻には史料室設置準備に際して多くの卒業生、関係者をご紹介していただきました。
  本学に大変縁の深い本郷三丁目の和久本歯科医院も、今は文枝先生のお孫さんの代となりました。本学からは大横丁通りを湯島方に、サッカー通りを左に折れて春日通りにつき当たる手前です。

2008/05/22

▲卒業生からご寄贈いただいた大正期~昭和20年代の歯科医療機器の前で。デンタルボックスの中にはまだ名称や仕組みのよく分からない器具が多量にあるので、先生にご教示いただきました。(通常の見学者の方にはお手を触れないようお願いしています。ご了解下さい)。

2008年5月23日ゼミ見学 人文学部国際コミュニケーション学科・宮井勢都子ゼミ(2コマ)

2008年5月23日文京ミュージアムネット

 文京ミュージアムネット新規加入団体として、文京区役所内にある財団法人文京アカデミーを訪問し、担当の方と顔合わせをさせていただきました。

2008年5月26日ゼミ見学 現代経営学部現代経営学科・石川勝ゼミ、井原久光ゼミ、
谷本信ゼミ、中井和敏ゼミ、鍋田英彦ゼミ(50音順)

2008年5月27日理事会・評議員会

 学校法人東洋学園理事会・評議員会が開催され、議事終了後、理事・監事・評議員の先生方にご覧いただきました。どの方も熱心にご覧いただき、後日詳細な質問をお寄せいただいた先生もいらっしゃいました。

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