東洋学園大学 史料室

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2009年8月8~9日槃澗学寮資料調査

2007年に刊行した『東洋学園八十年の歩み』では、忘れられている槃澗学寮(はんかんがくりょう)を取り上げたいと思い、現地調査と学内で再発見した資料に拠って記事にしました。東洋学園の歴史を語るにあたり、学寮とそれにまつわる人々を落とすわけにはいかないからです。

槃澗学寮は栃木県鹿沼市上永野にあります。1871年(明治4年)、東洋学園創立者・宇田尚先生の父、宇田廉平先生が薩長藩閥との政治闘争に敗れて新政府から下野し、槃澗書屋と名づけて隠棲した住まいがほぼ当時のまま残っています。当時の交通事情からすれば、今に言う政治亡命でした。

世の中が落ち着くと、宇田廉平先生は第一高等中学校(旧制一高、現東京大学の一部)、陸軍幼年学校などで倫理学教授を務め、1906年、この地で没しました。

1930年、宇田廉平25周忌にあたり、宇田尚先生は槃澗書屋を改築して施設を拡充し、東洋文化・学術研究の振興を目的として研究者有志に開放し、名称を槃澗学寮と改めました。以後、東洋女子歯科医学専門学校、東洋女子短期大学の学生、教職員の研修、修養、保養施設としても利用され、1945年の空襲被災後は、学生と学校機能の一部疎開先ともなっています。

近年は忘れられた存在となっていましたが、大学の教育に再び利用することになり、9月4日に理事・評議員、教員、職員幹部らが集まって行事が行なわれる予定です。

これに先立ち、江澤雄一学校法人東洋学園理事長夫妻のご厚意により、一泊二日で学寮にある資料、山林内に散在する諸碑、墓所を拝見させていただきました。本学は空襲被災やその後の改組で失われた資料が多く、歴史的建造物も残っていません。それを補って余りあるのがこの槃澗学寮です。

二日とも小ぬか雨が降り続いて大変な湿気でしたので、軸物などを多く拡げることは憚られましたが、明治初期から昭和前期まで、宇田家の歴史を語る資料が大量に保管されていることが確認できました。本格的には悉皆調査が必要となるボリュームです。

24日、これら資料群の内の一部を史料室に移管しました。宇田廉平先生が明治天皇にあてた上奏、それに対する天皇のご下問に奉答した際の下書きを装丁し、徳富蘇峰の揮毫により『孤忠留真帖』と題字された手鑑(折本)などが含まれています。

宇田廉平肖像と槃澗学寮全景 『槃澗餘香』(1932年)より

学寮の母屋全景(2006年秋)。

ここまで登ってもまだ敷地の中(2006年秋)。

1898年、宇田廉平先生が小松宮彰仁親王から賜った書「時還讀我書」。上の落款に彰仁親王とあります。

『槃澗餘香』の表紙題字になった平沼騏一郎(男爵、当時枢密院副議長、後に首相)の書。『槃澗餘香』の表紙題字になった平沼騏一郎(男爵、当時枢密院副議長、後に首相)の書。

今回、蔵の中をご案内いただきました。ここはタイムカプセル。「昭和廿年十月」(1945年)、敗戦直後の宇田尚先生の張り紙が昨日貼ったように残っています。

古新聞と言っても昨日今日のではありません。日付が読めませんが、「聖戦第五年」とありますので1941年、日米開戦の年でしょう(「日華事変」勃発は1937年)。

1939年の夏休みに過ごした歯科医専学生が作った大団扇。拂妖霊、「妖しい邪気を祓う」ということ。

宇田尚先生の妻、宇田愛先生(第三代理事長)ゆかりの軽井沢彫ライティングデスク。宇田愛先生は日本女子大学校英文学部本科在学中から1908年に卒業するまで、同じ目白にある同仁キリスト教会女子寮ブラックマーホームの寄宿生として、宣教師を手伝って併設の幼稚園運営、保育にあたりました。 同ホームは日米開戦の際、閉鎖されましたが、帰国する宣教師を援助をするため、宇田尚先生はホームの家財、建材を買い取りました。この家具は明治の米国人宣教師らが使ったものです。

小雨の降り続ける早朝、庭でウサギが一心に草を食べていました。理事長ご夫妻によれば、ここに住み着いている野生のウサギだそうです。在来種の野ウサギではなくドワーフ系の顔立ちなので、人に飼われていたのが逃げたか、捨てられたのでしょう。人間をまったく警戒せず、ファインダーからはみ出るまでカメラを寄せても逃げません。

2009年8月27日史資料の受け入れ

『東洋学園八十年の歩み』には、卒業生によるご寄稿が数多く収録されています。歯科医専時代については、歯科OGとの交流を開始したばかりで多くを望めなかったことから、既刊書からの転載が含まれています。1985年刊行の東洋紫苑会(歯科医専同窓会)編纂による『東洋女子歯科医学専門学校の六十八年』からは三編を転載しました。

その内の一つ、「凡て思出」を転載させていただいた10回生(1935年卒)故・高橋寿美先生のご遺族であるヤシマ歯科医院(千駄ヶ谷)より、ご遺品の寄贈がありました。とても有り難いことに、先月も報じた卒業アルバムの、また新たな年度の入手が叶いました。お見せしませんが、解剖実習中の写真が掲載されています。これは初見でした。

制帽もありました。医学生時代の思い出として、大切にお持ちになってらっしゃったのでしょう。

最も興味深いものは陶製の表札です。以前、日本歯科大学の博物館で見ましたが、戦前は卒業校の名称を冠した学士号を入れた表札を掲げたものだそうです。その後、卒業生から東洋女歯のものも見せていただきましたが、入手は初めてです(2008年11月10日の記事参照)。大きさも手頃であり、早速展示に回したいと思います。

その他、同窓会名簿、写真10点を頂戴しました。

戦前、内地には8校の歯科医専がありました(内女子2校)。開業歯科医はそれぞれ卒業した学校の学士号を記した表札を掲げていました。

「東洋女子歯科医学士」クローズアップ。

アルバムの校歌のページに、戦前の校舎にあった時鐘装置の鮮明な写真がありました。

2009年8月28日『TOKYO大学博物館ガイド』

来月早々、ブルースインターアクションズより『TOKYO大学博物館ガイド』が出版されます。素晴らしい内容と展示を誇る数多くの大学博物館に伍して、東洋学園史料室も紹介されています。博物館・美術館・資料館などにご興味のある方、街歩きの好きな方にお勧めします。ぜひご一読下さい。

『TOKYO大学博物館ガイド』 大坪 覚 著  
(株)ブルースインターアクションズ P-Vine Booksシリーズ  
ISBN:978-4-86020-349-8  \1,890

詳細は下記をご参照下さい。

http://bls-act.co.jp/books/2310

A5版のハンディな体裁、表紙は日本女子大学の成瀬記念館さんです。

2009年8月31日~史料室内外の改装とミニ企画展準備

本年度史料室整備として準備を進めてきた廊下周りと屋外展示について、本日より工事を開始しました。併せて入交重道先生から寄託された東郷平八郎元帥の総義歯をより詳しくご紹介するため、ミニ企画展の扱いとし、その展示作業も行ないます。

完成後の様子は来月ご紹介します。

現状は入り口サイン以外、通常の教室と変わりません。資材が運び込まれ、下地の処理が始まりました。どう変わるか、乞うご期待。

外は台風11号の接近で風雨ともに強かったのですが、1号館前に解説板を、4号館にはサインの設置を行ないました。次の屋外作業は9月2日となります。大雨の中、ご苦労様でした。

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