東洋学園大学 史料室

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2009年6月3日旧制高等学校資料

旧制高等学校記念館(旧制松本高校、現信州大学)から、9日には吉富達彦様(旧制広島高)より、『資料集成 旧制高等学校全書』第二~八巻、『第一高等学校自治寮六十年史』、その他2点、ご両者より併せて旧制高等学校資料10点をご寄贈いただきました。

ご厚意に感謝申し上げますとともに、それぞれに東洋学園の旧設置校である旧制東洋高等学校に関する資料をお送りいたしました。

2009年6月5日『文京アカデミー・スクエア』6月号巻頭特集

文京区・(財)文京アカデミー情報紙『文京アカデミー Square(スクエア)』6月号(第102号)一面に、東洋学園史料室が特集掲載されました。

東郷平八郎元帥の総義歯については、既報の通り6月29日より公開を開始しました。東郷平八郎は本年11月から3年をかけて放送されるNHKドラマ「坂の上の雲」(司馬遼太郎原作)の、重要な登場人物の一人です。
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2009年6月15日東洋大学井上円了記念博物館

本年度から東洋大学井上円了記念博物館に、文京区・文京ふるさと歴史館で活躍されてきた学芸員の方が移られました。5月下旬、井上円了記念博物館より、学芸員課程科目「博物館実習」の一環として履修者の館外実習受け入れ要請があり、打ち合わせを兼ねて同館を見学させていただきました。

着任後、僅かの期間で全面的に展示を更新され、公立博物館で発揮してきた手腕を随所に見ることができる常設展「井上円了 その人と生涯」(特集展示「妖怪へのまなざし」)は9月26日まで。

2009年6月23日祝 卒業生の鶴寿(百歳)1

大分県中津市の東洋女子歯科医学専門学校6回生、川嶌ミツエ先生が6月23日に百歳の誕生日を迎えられました。ミツエ先生は八十歳台半ばまで歯科医を勤め、戦病死されたご主人に代ってご一家を支えてこられました。ご子息は整形外科医(医学博士)となり、整形外科病院(大分県の中津下毛圏地域リハビリテーション広域支援センターに指定)を運営し、医療その他で地域に大きな貢献をされています。また、研究教育面では東京医科歯科大学医学部臨床教授を勤められています。

当日はご家族、病院職員、中津歯科医師会による盛大なお祝いの会が催されたとのことです。東洋学園史料室からは『東洋学園八十年の歩み』、『年表 東洋学園史』等をお贈りしました。たまたま学校法人東洋学園理事長・江澤雄一が本学アピールのため大分市を訪問していたことから、法人からもお祝いの花を届けさせていただきました。

中津市は幕末より蘭学が盛んとなり、福澤諭吉をはじめ、『解体新書』訳者の前野良沢、近代以降の公許歯科医第1号である小幡英之助らにゆかりの深い土地柄です。川嶌家のご仲介により中津歯科医師会からは、5月17日に上梓されたばかりの『小幡英之助先生没後百年顕彰 歯科祭記念誌』を二部ご献呈いただきました。一部は本学図書館に収書されましたので、学生教職員にはご一読をお勧めします。
(今回、川嶌家との仲立ちを、日本歯科大学新潟生命歯学部医の博物館の樋口輝雄先生が取り持って下さいましたことを特に附記します)

理事長に同行した広報室員がお祝いを述べに行ってくれました。写真はその際のもの。
ミツエ先生が志を立てて本学に学んだ昭和初期から、東洋女子短期大学時代の平成初期まで、大分県からは毎年入学生がありました。専攻分野こそ変われ、現代の大分県青年男女が一人でも多く本学で学ばれることを願います。

2009年6月24日史資料受け入れ

5月に来室された横浜市の田村デンタルクリニック院長・田村明彦先生が、祖母に当たる東洋女子歯科医学専門学校2回生、故・田村トシエ先生に関する資料を携えてご再訪下さいました。トシエ先生は兵庫県龍野のご出身で、前身の明華女子歯科医学専門学校第2回入学生、卒業時は東洋女子歯科医学専門学校に改まり、文部大臣指定校となって(=東洋学園創立)以降の第2回卒業生です。

明華女歯は私塾として1917(大正6)年に設立され、各種学校を経て1921年に(旧制)専門学校令に基づく高等教育機関として認可されました。上記「○回生」のカウントは、旧制専門学校となって以降のカウントで、各種学校時代は含まれていません。

今回ご提供いただいた資料の貴重性は、本科、専攻科各卒業時の証書3枚と歯科医師免許証、計4枚が欠品なく保存されている点、及び東洋女歯の創立期という「時期」にあります。その他、子から孫へと受け継がれつつ、姫路市の地域・学校歯科医療に貢献さて来た来歴を示す県、市等発行文書など、数十点に及びます。

田村先生は歯科医師として東郷平八郎元帥の総義歯に大変ご興味を持たれ、事前に所有者である入交重道先生への紹介を希望されていました。入交先生に連絡したところ、たまたまご都合が合い、図らずも史料室でのご面会となりました。

当日午後の診療を休まれてご来室いただいた田村先生、突然のアポイントにもかかわらず、お気軽にお越し下さった入交先生に深く感謝いたします。資料は選別の上、20点をお預かりすることとし、うち証書類は手持ちのスキャナーには過大なサイズでもあり、高精度で電子化したいことから翌25日、(株)ニチマイに委託しました。

1926(大正15)年の本科卒業証書の部分。証明者は東洋女歯初代校長の陸軍軍医総監(正四位勲二等功三級)飯島茂。本科卒業の時点で歯科医師を目指す場合は、歯科医術開業試験(国家試験)を受験して合格する必要があります。

2回生卒業アルバムの飯島茂校長肖像。本学に遺された数少ないアルバムです。

なお1年の修業を経て、1927(昭和2)年に専攻科を卒業します。専攻科を卒業すると国家試験受験の必要はなく、自動的に歯科医師ライセンスが交付されます。これが文部大臣指定校の「無試験開業特典」です。
この時点で(早くも)飯島校長は退任しており、後継校長が決まるまで東洋女歯初代理事長の子爵・岩城隆徳が校長事務取扱を兼任しています。

財団法人東洋女歯初代理事長、子爵・岩城隆徳の肖像。岩城隆徳は「創立者」宇田尚先生の実業上の師であり、パートナーであった十五銀行頭取で、最後の(美濃)郡上藩主であった子爵・青山幸宜の子息です。後に外務政務次官を勤めた記録があります。
1929年に青山幸宜が第2代校長に就任しました。

宇田尚先生は1928年に理事長に就任、1930年からは校長を兼ね、経営・教学両面の指導にあたります。飯島茂、青山幸宜、岩城隆徳、彼らは短期の繋ぎ役としての役割を果たし、運営の実務は当初より宇田尚先生が担っていました。

この証書を見て意外だったことは、「東洋女子歯科医学士」称号認許が専攻科卒業時でなく、本科だったことです。この前後は毎年、予科、本科、専攻科の設置改廃及び修業年限の改訂がありました。本科卒業時の称号認許がこの過渡期だけなのか否かは、今後の課題です。

2009年6月28日祝 卒業生の鶴寿(百歳)2

東京都青梅市の東洋女子歯科医学専門学校5回生、新井たつる先生(2008年7月7日参照)が6月28日に百歳の誕生日を迎えられました。先立つ6月4日に訪問し、お祝い申し上げ、また、聴き取り調査にご協力いただきました。

約1年ぶり、三度目の訪問でしたが、変わらずにお元気で記憶力の確かなことは特筆に価します。5回生最優秀の成績で級長、総代を務め、医局に残られた明晰な頭脳に衰えはありません。

平成23年1月16日、ご逝去されました。安らかなお眠りをお祈り申し上げます)

2009年6月29日他大学の来室

東京経済大学創立110周年記念行事委員会・展示小委員会の委員5名のご来室、見学がありました。1月に続き2回目となります。

2009年6月30日学術大会事前抄録提出

第37回日本歯科医史学会学術大会(10月)に向け、演題及び事前抄録を2本提出しました(採否は未定)。

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