東洋学園大学 史料室

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2016年5月23日(その2)


大阪府柏原市、旧制東洋女子歯科医学専門学校8・17・23回生ご遺族、杉本歯科医院(杉本歯科医院の歯のMuseum)を訪問。


 今年(2016年)2月1日、大阪府柏原市の杉本歯科医院(院長:杉本叡先生)の夫人、倍子(ますこ)様よりお電話をいただきました。同医院は昨秋より眠っている古い歯科用器具、器械などを展示公開し、照会の内容は解説キャプション作成のため、院長の母上の姉の入学期について知りたいとのことでした。

 当室で把握している健在の旧制卒業生、連絡のとれるご遺族のリストに同医院は含まれていませんでした。お話を伺い、健在者リストに基づき大学並びに当室刊行物をお送りしていた大阪市此花区の武下日出子先生(23回生、武下歯科医院)が杉本家三姉妹の三女で昨年ご他界されたこと、姉妹全員が本学(旧制東洋女子歯科医学専門学校)卒業生であることが分かりました。


 長女 1929(昭和 4)年入学 1933(同 8)年卒業 初代院長 1936(同11)年逝去

 次女 1938(昭和13)年入学 1942(同17)年卒業 二代目院長 2000(平成12)年逝去

 三女 1944(昭和19)年入学 1948(同23)年卒業 武下歯科医院 2015(平成27)年逝去


 以下当日、杉本叡先生・倍子様ご夫妻、故武下日出子先生ご長男(武下歯科医院・武下彰宏院長)の夫人、武下厚子様より伺ったお話から。

 長女、杉本一子先生は明治末に生まれ、一家の期待を担って東京の東洋女子歯科医専に進学、4年半の遊学を経て杉本歯科医院を創設しましたが、卒業の3年後に結核で夭折されました。

 悲嘆に暮れる両親を見て1917(大正6)年生れ、骨髄壊疽を患って足が不自由なため高等女学校進学を諦めていた次女の禎子(ていこ)先生が難関で知られた専門学校入学者検定試験(専検、今日の大検)を突破し、東洋女歯に進学しました。現院長はそのご長男です。

 1926(大正15)年生まれの三女、日出子先生も姉たちに続き東洋女歯に進学。亡くなる昨年まで関西の23回生クラス会を盛り立てました。

 (当室担当者が頻繁に交流してきた23回生クラス会は関東、東海在住者が中心のグループ。こちらも高齢化で昨秋の会合を以って解散しました。)


 1933年と42年の卒業アルバム、その他写真多数を用意され、詳しくお話を伺った後は診療室、技工室、プライベート空間までくまなく拝見させていただきました。その間、途切れなく患者さんが訪れ、ふらりと近隣の整体師の方が訪ねてきます。地域の医療従事者との連携を重視していること、今日では珍しく院長自ら義歯などの補綴物を作製していることを伺い、それがあいまって地域で大きな信頼を得ていることを目と肌で感じました。卒業生の家が地域で尊敬され、栄えているのを見るのは嬉しいことです。

 これまでも姉妹で東洋女歯は多数、母娘が明華・東洋女歯夫が旧制東洋高校(医師)・妻が東洋女歯(歯科医師)夫が旧制高校教授・妻が東洋女歯父が東洋女歯教授・娘が東洋女歯・先生の甥の娘さんが東洋女子短大など多様なケースと出会ってきましたが、三姉妹は初でした。


 柏原は生駒山地の西南麓にあって二上山を望み、大阪圏の郊外都市として発展しており、杉本歯科医院は大阪と奈良を結ぶ旧奈良街道に沿った趣のある旧市街にあります。住宅は明治初期の建築、三姉妹の父は醸造家で銀行の設立にも関わった商家だったそうです。街道のはす向かいには古い酒蔵があり、河内の銘酒「錦虎」を造っていました。戦後の高度成長期に地下水脈の変化があって酒造りを断念し、現在は酒造を奈良の酒蔵に委託しているそうです。


 では「杉本歯科医院の歯のMuseum」を写真でご紹介します。

 参考:杉本歯科医院の歯のMuseum


古道の面影をたたえる街道に面してモダンな建物の杉本歯科医院。
1階右のスペースを「杉本歯科医院の歯のMuseum」として公開しています。
歯のMuseum外観。
左の看板は展示している古い看板と同じデザインを踏襲したものです。
昭和初期から中期にかけての歯科用器具、器械がぎっしり。コンディションも良好です。
英語表記がお洒落な先代、先々代の看板。最初に「杉本一子」と彫り、代替り後に「禎子」と彫り直した痕が今も読み取れます。「東洋歯科医学士」に晴れがましい思いを抱きました。
下の写真は左から長女(初代院長)一子先生、次女(二代目)禎子先生、三女(武下歯科医院)日出子先生、並びに同級でご友人の故太田ノブ子先生(阿倍野で開業)。
東洋歯科医学士の得業証書。
東洋女子歯科医専の卒業に際しては本科、専攻科、得業証書、計3種の証書が授与されます。
詳しくはこちらをご参照下さい。
二代目の禎子先生が使用されたデンタルボックス。新品のようにきれいなので驚きました。
間違いなく東洋女子歯科医専の学生が在学中、本校の斡旋で購入した合名会社中澤歯科器械製造社(現存せず)の製品です。当時は実習用器具の殆どが貸与でなく購入でした。
中澤歯科器械製造社のデンタルボックスについてはこちらもご参照下さい。
技工室にて、左から現院長の杉本叡先生、夫人の倍子様、武下日出子先生のご長男の夫人、武下厚子様。
左端に義歯の模型が写っています。本文でも記したように、先生ご自身が補綴物の作製を手がけられており、そのための研究が欠かせないことを伺いました。
お忙しいところ、長時間に亘りご応対下さった皆さまにあらためて御礼申し上げます。
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