東洋学園大学 史料室

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2016年1月20日


往訪:旧制東洋女子歯科医学専門学校20回生・田中秋子先生への聴き取り。


 昨年暮れに本学(東洋女歯医専)教授・江森茂十二先生ご遺族の20回生・平田葉子先生より、同級の田中秋子先生をご紹介いただきました。さっそく連絡を差し上げたところ、折り返し写真13点をご寄贈下さいました。

 写真より得られる情報量を高め、また、写真以外にご記憶のこともお伺いいたしたく、ご自宅を訪問させていただきました。

 田中先生は旧樺太庁(現ロシア・サハリン州)豊原支庁落合町のご出身で、樺太庁豊原高等女学校を卒業後、1941(昭和16)年に東洋女歯医専へ進まれました。姉上お二人も東洋女歯医専です(下の姉上は在学中に夭折されました)。神職であるお父上の樺太移住から姉上の歯科医院経営、在学中の事々、終戦の年の卒業と樺太帰郷、それから間もなくのソ連軍侵攻と引き揚げ、ご結婚、高円寺での開業、思いがけない夫君(歯科医師)の早世、その後のこと、たくさんのお話をお伺いしました。


 当室の開設準備中(2007年度)、同級の伊藤とし子先生より多くのご協力を賜り、没後、ご遺族の伊藤雅敏様から漫才師・内海突波の色紙などを寄贈いただきました。戦時中から戦後にかけ、内海突波は桜寮向かいのアパートに住んでおり、本校特設防護団(民間防空組織)の早朝訓練に対するクレームが縁で、戦後の東洋女歯「復興演劇会」に出演してくれた際の記念の色紙でした。

 田中先生のお話にも内海突波が出てきます。先生は同級の萩こてふ先生と二人で「山手線漫談」を教わったとのこと。1942年5月の予科生歓迎会で披露したことを、生き生きとお話し下さいました。


 伊藤先生、萩先生、また、東洋学園大学の卒業式に女歯医専卒業生代表としてご出席下さっていた岩田貴美子先生ら(2008年5月16日記事)、ご交誼いただいた20回生が相次いで他界され、寂しくなっていたところ、また新たなご縁をいただきました。田中先生、平田先生のますますのご健康を祈念いたします。


萩こてふ先生(左)と田中秋子先生による内海突波直伝の「山手線漫談」(1942年)。萩先生は男装して漫才師になりきっています。
この芸は後輩に引き継がれたらしく、戦後の津田沼校舎における校友会総会で、別のコンビによる上演の写真も残されています。
田中先生所蔵写真をもう一つ。1960年代半ばと思われる東洋紫苑会(女歯医専同窓会)総会、上野精養軒にて。
こちらを向く男性が平田葉子先生の父君、江森茂十二元教授です。その表情からも窺われるように、温容なご性格だったことを多くの卒業生が回顧しています。
その隣でもう一人こちらを向く男性は生理学の林髞先生、またの名を木々高太郎。直木賞作家です(本務校は慶應義塾大学医学部)。その隣が本学創立者で女歯医専校長・理事長だった宇田尚先生最晩年の姿。さらに馬渡一得先生(宇田先生の女婿で戦後の校長、衛生学)、舎監の岡島ハルヱ先生、一人置いて調剤の寺崎述子元助教授と続きます。
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