東洋学園大学 史料室

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2015年3月27日


旧制東洋女子歯科医学専門学校13回生:故柴田経子様遺族の小野寺泰子様より実習使用器具、卒業証書3種、卒業アルバム、免許・開業等文書資料などを受贈。


沖縄県糸満市からの照会に始まったケースです。


参考:2015年1月30日

それ以前の記事には順にリンクしています。


柴田経子先生は愛知県西加茂郡挙母町(現 豊田市)の医家のお生まれ、県立拳母高等女学校を卒業後、1934(昭和9)年4月、東洋女子歯科医学専門学校予科入学、同年10月から本科に進み1937年10月卒業、1938年10月25日に専攻科を卒業して歯科医師免許を得ました。

入交直重教授・附属病院長から学校に残るよう(医局入局を)勧められましたが、実家の医業後継者として開業歯科医の道を選びました。柴田先生の歯科医院は軍需工場を空襲から守るため、建物強制疎開の対象となって終戦の年に閉鎖され、戦後、結婚されて静岡県の伊豆に移住後は医業から離れました。

現在は浜松市に住むご遺族の小野寺泰子様が豊田市の母堂ご実家で遺品を探して下さり、計22点が見つかったとご連絡いただきました。在学中の柴田先生は歌舞伎がお好きで、歌舞伎座によく通ったことを示すように、銀座・伊東屋の塗りの箱に納められていたそうです。

以下、この日届いた寄贈品を紹介します。


煮沸消毒用器具ケース。上蓋中央に柴田と刻まれています。当時、実習に使う器具は自費で揃え、学年が進むに連れて増え、(エンジンやレントゲンのような器械は別として)卒業して開業する際は全て揃うとされていました。
蓋を開けた状態。
いただいた1938年13回生卒業アルバムに、まさにこれが写っていました。
耐熱性器具の滅菌を高温蒸気によって行う原理は現在も変わっていないと思いますが、装置や周辺機器の発達は目をみはるばかりです。
器具を並べてみます。右から三番目のピンセットから左の器具は在学中から使用したものと思われます。
充填器と手用切削器具(コントラアングル右刀)にはTHE MITSUWADENTAL MFG.COの刻印があります。これは校内で営業していた歯科材料店のミツワ歯科商店製を示します。
ミツワは宇田尚校長の夫人、宇田愛の実家筋の庄司家が経営していました。ミツワ歯科商店製と確定できる器具は初出、大変貴重です。器具は消耗品ですが、強制疎開で早くに廃業を強いられた結果、学生時代の古い器具が残ったのだと思います。
歯科用水銃(上)と注射器。
前年の本科卒業を経て専攻科を卒業すると、その卒業証書が根拠となって歯科医師免許が交付されました。併せて東洋歯科医学士の得業証書が授与されます。
東洋歯科医学士の証書は小野寺様のご友人、三島眞紀子様から昨年10月にご寄贈された際に紹介しました。柴田先生の一年後輩にあたる14回生・門脇(旧姓:三原)末子先生の証書です。
2014年10月14日
卒業アルバムはケースも残っていました。
アルバムの表紙。
前年に開戦した日華事変(日中戦争)の影響が市民生活まで及ばない戦前の国力の絶頂期。充実した内容、豪華な装丁です。
挙母警察署経由、愛知県知事による歯科診療所廃止許可の書類。名古屋周辺は航空機、自動車関連の軍需工場が集積し、激しい空襲に曝されました。
在学中、伊豆大島に旅行されたようです。公式記録にはないので、友人同士の私的な旅行だったのでしょう。「大島節」と椿の絵が描かれた紙皿、のようですが、はがきとして使えます。まるで昨日買ったもののようにきれいです。
裏を返すと送料として切手4銭とあります。絵はがきの一種で、実際に通信に使うケースはまずなかったと思いますが、郵便物の仕分けが機械化される以前ゆえの商品です。
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