東洋学園大学 史料室

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2015年2月19日


往訪:アポロ歯科衛生士専門学校(東京都中野区上高田)。本学卒業生(旧制東洋女子歯科医学専門学校指定後13回生)が創設した歯科衛生士学校の沿革と現況について。


 5月11日から公開予定の「日本初の歯科衛生士学校 ―東洋女子歯科厚生学校」に関する調査の一環です。東洋女子歯科厚生学校は歯科衛生士法施行後初の衛生士学校として本学が設置したものの、その存続期間わずかに1年2ヶ月、1950年7月に1回生を送り出して本体の旧制東洋女子歯科医専とともに廃校になりました(法的な廃止認可はそれぞれ数年後です)。

 黎明期に、という点で本学が歯科衛生士教育に携わった歴史的事実は興味深いことですが、それだけとりあげて終わりでは文字通り尻切れトンボです(事実その通りなのですが)。歯科衛生士の学校をとりあげるには、(以後の時代を含めた)通史を踏まえなければなりません。また、その教育の現場を実際に見て確認したいと思いました。


 東洋女子歯科厚生学校が閉鎖して13年後、1963年に東洋女子歯科医専13回生の小池きく子先生(1915~1986)がアポロ歯科衛生士専門学校(当初はアポロ学園歯科衛生士学校)を創設しました。1950年以降は東洋女子短期大学英語科になった本学とは無関係ですが、東洋女子歯科厚生学校、さらに東洋女子歯科医専の精神を受け継ぐものと考えられなくもありません。創立者がOGであるばかりでなく、東洋女子歯科医専の教授・付属病院副院長を長年務めた中核教員の一人、岩橋章先生(1902~1975)も立ち上げから参加しており、これは小池先生の招聘によるものでした。

 東洋女子歯科医専19回生で本学を設置する学校法人東洋学園の評議員(~2011年)だった故・吉田恵美子先生次女の細川悦子様はアポロ歯科衛生士専門学校OGです。当室担当者の願いを容れ、同校の山根瞳校長(歯学博士)、教務主任・荒木久美子先生をご紹介下さいました。

 細川様や歯科関係者からは、山根校長のご夫君、山根源之先生(東京歯科大学口腔外科学講座教授などを歴任、名誉教授)のご母堂、山根たま先生(1915~2013 旧姓:斎藤)も東洋女子歯科医専OGと伺っており、本日伺ったところ、11回生とのことでした。

 東洋女子歯科医学専門学校・東洋女子厚生学校は1950年に消滅しましたが、ゆかりのある人々がアポロ歯科衛生士専門学校を創ってこれを守り、若き歯科衛生士を育てて世に送り出しています。


 当日は3月1日の歯科衛生士国家試験(第24回)を目睫に控えていましたが、山根校長、荒木先生が長い時間に亘って親身にご対応下さり、資料を提供して下さいました。また、授業中にも拘わらず、各教室、施設の見学と撮影に便宜を図って下さいました。ここにあらためて御礼申し上げる次第です。

 この際にご恵贈いただいた同校の記念誌『アポロ学園三十周年誌』(1992年)には、創立、維持発展の過程で再三、困難に遭遇し、その度に多くの方の尽力のあったことが記されています。公的な性質の強い私学の創設、運営には、いずこも例外なく多くの困難に見舞われ、その歴史にはドラマ性さえ感じられます。私学職員として『アポロ学園三十周年誌』には強く共感を覚えました。

 本日得られたことは「日本初の歯科衛生士学校 ―東洋女子歯科厚生学校」のエピローグとして、紙数には限りがありますが、ぜひ反映させたいと思います。


 参考:アポロ歯科衛生士専門学校


清楚なアポロ歯科衛生士専門学校の校舎。別棟で実習施設(アポロ歯科診療所)があります。
同校の校章。
校名の由来は聖アポロニア、キリスト教世界で歯の守護聖人です(ギリシャ神話のアポロンではありません)。
画像は1933年の東洋女子歯科医専卒業アルバムから。
玄関に聖アポロニアの絵が飾られています。
前の画像では抜歯した歯を手にしていますが、こちらは歯科衛生士の学校らしく歯ブラシを持っています。
創立者・小池きく子先生夫妻の胸像。夫君の櫻内英男氏は外相、自由民主党幹事長などを歴任した櫻内義雄氏のご一族と伺いました。
「小池きく子先生は大正4年12月此の地に生れる 生来積極進取の性格で東洋女子歯科医学専門学校研究科を卒業して歯科医師の免許を受け 更に東京医科歯科大学歯学部に進んで医学博士の学位を得る昭和38年財団法人アポロ歯科衛生士学校を創立し 多くの人材を世に送る
昭和61年5月30日虎ノ門病院に於て七十才の生涯を閉じる」
(補足)
小池先生が歯科医師免許を取得したのは専攻科を卒業した1938(昭和13)年です。当時は予科、本科、専攻科があり、専攻科卒業が歯科医師免許交付の要件でした。研究科は卒業生がさらに知識、技術を究めるための課程です。
戦後の1956~59年にかけて、小池先生が学位論文に取り組んだ東京医科歯科大学は官立の東京高等歯科医学校として発足し、戦時中に東京医学歯学専門学校に改称、戦後は新制国立大学として現在の名称に変遷しました。東洋女子歯科医学専門学校があった時代は同じ旧制専門学校です。


新入生研修旅行(清里、清泉寮)のスナップに納まる岩橋章先生(前列右の男性)と、当時のアポロの学生さん。この写真は2007年に岩橋家(松田方之様)からご提供いただいたものです。
東洋女子歯科医専の廃校後、研究者肌だったと思われる岩橋先生は開業してご苦労が多かったと聞きました。後進の育成は天職だったのでしょう。他界する前年の1974年までアポロの教育に携りました。
左の男性は小池先生を援け、共にアポロ学園を創設した夫君の櫻内英男氏(学園理事)。今回の訪問でお顔が分かりました。アポロ創立以来恒例だった清泉寮キャンプは、立教大学OBである櫻内氏とポール・ラッシュ博士とのご関係から(ポール・ラッシュ博士は立教大学教授、清泉寮を運営するキープ協会創設者)。
東洋女子歯科医専時代の岩橋章先生。戦時中の国民服姿です(1942年)。
訪問当日、1年生の教室で。顎模型を使用した座学です。
2年生は大学の付属病院など校外での臨床実習を控え、それぞれの実習先へ通う通学定期券の事務手続き中。3年生は全ての課程を修了して不在、各自が国家試験に向けて最後の準備をしているところでしょう。国試をパスすれば、晴れの卒業式を迎えます。
現代の歯科衛生士専門学校は3年制です。
『アポロ学園三十周年誌』(1992年)
装丁のカットも聖アポロニアです。
ご自宅で山羊の世話をする小池先生ご夫妻。大判の写真を撮影させていただいたもの。
中野区新井で開業していた20回生の伊藤とし子先生から、アポロに行くと山羊の乳を貰えたと聞いていました。昔の話とは言え、都心近くで山羊?でしたが、その謎も解けました。
小池家は土地の旧家でご自宅の母屋は築200年、地所も広大、そこで山羊や家鴨などを飼っていたそうです。『アポロ学園三十周年誌』には、庭で動物と触れ合う学生の微笑ましい写真があります。当時は地方出身の学生さんが多く、寮も敷地内にありました。教育機関の増加により、通学圏内の学生が主体となっていったのは本学も同様です。
本学の創立者・宇田家の槃澗学寮にも通じることですが、祖先伝来の旧家を守るのは大変なことです。


帰途、金剛寺の名を記した石碑を見かけ、少し寄り道しました。史料室担当者が敬愛する作家・随筆家・俳人・法政大学教授・・・内田百間の菩提寺です。「木蓮や堀の外吹く俄風」の句碑を見たいと思いましたが、勤務時間中なので遠慮しました。蝋梅が美しく咲いていました。
アポロ歯科衛生士専門学校のある中野区上高田はこのように寺町であり、閑静な山手の住宅地です。都心から至近、落ち着いた土地柄、小池先生の遺した広い校地、教育環境としてはこれ以上望めないほど良い立地です。
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