東洋学園大学 史料室

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2014年10月24・25日


資料調査:栃木県鹿沼市、槃澗学寮(東洋学園栃木寮)。


 来年度の第116回日本医史学会大会に向けた準備のため、この季節にほぼ毎年恒例となっている槃澗学寮(はんかんがくりょう)資料調査を行いました。今年は本学を設置する学校法人東洋学園理事長夫人である江澤玲子様がご同道下り、諸事便宜を図って下さいました。


槃澗学寮

矢数道明 湯島聖堂「恩賜神農像」写真の変化について


 「湯島聖堂「恩賜神農像」写真の変化について」(日本漢方現代史余話(18))に、「宇田理事」「宇田尚理事」について触れた箇所があります。斯文会理事・宇田尚は本学の創立者、宇田尚その人です。医史学会では西洋歯科医学に基づく東洋女子歯科医学専門学校の理事長・校長であり、その校名の由来となった東洋思想(漢学)の研究者・実践者でもあった宇田尚について報告をしたいと考え、その資料を中心に40点を選んで史料室に移管しました。

 数十年、ものによっては百年以上日の目を見なかった資料はたっぷり山間地の湿気を吸い、埃とネズミの糞にまみれていますが、幸い両日とも好天に恵まれ、25日午前は曝書することができました。鍵の見つからない書庫は戸を毀して開扉しましたが、そこまでできたのは宇田尚先生直孫の江澤玲子様がいて下さったお陰です。

 神農像に関しては林守篤『畫筌』巻之四(1721(享保6)年)を収集、その他江戸期から明治の漢籍5点、斯文会、青山会館(徳富蘇峰創設)、槃澗学寮、塩谷温関係など13点、東洋女子歯科医専ほか宇田尚の営利事業に関わる資料12点、愛知揆一、馬渡一眞ら親族の著書など5点、変わったところではリットン報告書(英・和文)、連盟脱退関係諸文書(英・和文)、学習院輔仁会『乃木院長記念写真帖』などでした。


槃澗学寮(東洋学園栃木寮)。紅葉はまだ。
最初に掛幅(掛軸)からあたりました。かなりシビアな環境です。
開かずの扉だった書庫。江戸中期から明治期の和綴冊子が大量にありました。
『畫筌』(がせん)巻之四(享保6年)。
目当ての神農図がありました。表紙は劣化が進み、書名を読み取るのに手間取りましたが、本文の和紙は丈夫なものです。学寮の古書、文書は湿気を含んでカビ臭はしますが、虫食いを見たことはありません。
土曜日の午前、縁側に出して曝書します。
『学校一覧』は文字だけの『学則』に対してグラフィックな構成で、現行の入学案内書(パンフレット)は両書の性格を併せたものといえます。
戦前の『学校一覧』は発行日、対象入学年度が明記されておらず、内容から判別しなければなりません。今回は1929年発行(1930年度入学志願者用)と1932年発行(1933年度入学志願者用)の二種を発見しました。
写真は校長が青山幸宜子爵であること、校舎新築完成を謳っていることから、発行年を1929(昭和4)年と特定しました。青山校長時代は校長事務取扱の期間を含め、1年余しかありません。正式に校長就任後、半年を経ず他界されました。
青山幸宜は美濃国郡上藩最後の藩主で貴族院議員。十五銀行頭取をはじめ日本鉄道、玉川電気鉄道、岩倉鉄道学校などに関わった華族実業家です。日露戦争後に北白川宮成久王の御輔導掛をしていた宇田尚を高く買い、ビジネスパートナーとして実業界に誘ったのが青山子爵でした。
学寮をとりまく山の稜線から紅葉が始まりかけています。
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