東洋学園大学 史料室

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2013年3月12日


来室:東洋女子歯科医学専門学校19回生・故吉田恵美子先生ご遺族細川悦子様ら(資料ご寄贈)。


 吉田恵美子先生は最後の東洋紫苑会(東洋女子歯科医専同窓会)会長でした。『東洋女子歯科医学専門学校の六十八年』(1985年)編纂の中心でいらっしゃった先生の手許に残った写真、名簿などを2012年10月17日にご寄贈、貸与いただき、現在整理中です。1944年のご卒業後は医局に残り、学校が戦災により津田沼に移転し、さらに本郷へ帰還し、閉校になるまで9年間に亘る長期の写真記録は貴重です。

 本日はご姉妹3人揃ってお見えになり、初めてお目にかかりました。細川様は東洋女子歯科医専13回生・故小池きく子先生が創設したアポロ歯科衛生士専門学校(学校法人アポロ学園 中野区)にご関係があることを伺いました。本学は歯科衛生士法に基づく初の衛生士養成校の一つ、東洋女子歯科厚生学校(1949~1950/津田沼→本郷)を設置しており、旧制高校と同じく、1回生のみで終わった卒業生の消息を追っています。

東洋紫苑会の会報にも厚生学校卒業生の歯科衛生士を探す呼びかけが掲載されており、『東洋女子歯科医学専門学校の六十八年』にはお一人の聴き取り結果が記録されています。今日、歯科医療に欠くことのできない存在の歯科衛生士の嚆矢、東洋女子歯科厚生学校OG再発見のきっかけになれば幸いです。


昨年ご提供いただいた後から出てきたものをご持参下さいました。うち、戦後の記念品の校章意匠アクセサリー類の中に実物らしき校章バッジが混じっていました。デザインの確かさ、経年の具合から当時のものと思いますが、以前、23回生の山幡政子先生からご寄贈いただいた襟章はもっと小さいものでした。襟章だけでなくバッジも存在したのか、それとも記念品なのかは今後の課題です。 昨年ご提供いただいた後から出てきたものをご持参下さいました。うち、戦後の記念品の校章意匠アクセサリー類の中に実物らしき校章バッジが混じっていました。デザインの確かさ、経年の具合から当時のものと思いますが、以前、23回生の山幡政子先生からご寄贈いただいた襟章はもっと小さいものでした。襟章だけでなくバッジも存在したのか、それとも記念品なのかは今後の課題です。
日本手拭い、風呂敷が3点。同期会ごとに意匠が異なります。写真の手拭いの型紙は2008年、本学に派遣されていた警備員を通じて15回生の加藤天枝先生からご寄贈いただいていました。警備員さんがたまたま先生の歯科医院でお世話になっていたご縁でした。翌年、加藤先生はご他界されましたが、その型紙と意匠がぴったり合って驚いた次第です。なお、上写真のオリジナルデザインと比べかなり印象が異なりますが、廃校によって正規のデザインが得られず、印刷物などからトレースした結果です。 日本手拭い、風呂敷が3点。同期会ごとに意匠が異なります。写真の手拭いの型紙は2008年、本学に派遣されていた警備員を通じて15回生の加藤天枝先生からご寄贈いただいていました。警備員さんがたまたま先生の歯科医院でお世話になっていたご縁でした。翌年、加藤先生はご他界されましたが、その型紙と意匠がぴったり合って驚いた次第です。
なお、上写真のオリジナルデザインと比べかなり印象が異なりますが、廃校によって正規のデザインが得られず、印刷物などからトレースした結果です。


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