東洋学園大学 史料室

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2012年10月17日


昨年6月に逝去された東洋女子歯科医専19回生の吉田恵美子先生は最後の東洋紫苑会会長(~1998年)であり、また亡くなるまで学校法人東洋学園評議員を務められました。東洋紫苑会は1985年に『東洋女子歯科医学専門学校の六十八年』を編纂、刊行し、吉田先生は編纂実務の中心として働かれました。このため、ご自宅には資料、写真が集まっているものと思われましたが、ご生前にお目にかかることは叶いませんでした。

一周忌が明け、23回生幹事役である鈴木彧子先生に仲立ちいただいてご遺族に連絡をとった結果、大型段ボール一箱分の資料を送っていただきました。お忙しいところ、夏の暑い時期にご遺品の整理をして下さったことに感謝いたします。

写真はかなりの点数に上り、予期していた通り、旧明華時代(1917~1926)の写真が含まれていました。また、太平洋戦争開戦前年、1940年4月の入学から戦時短縮繰り上げで1944年に卒業した後、医局に在席していた戦後の津田沼校舎時代に至る、吉田先生個人のアルバムも3冊お貸しいただけました。

その他、1936(昭和11)年度11回生卒業アルバム、東洋女子歯科医専校歌インスツルメント(シンセサイザー演奏)録音テープ、本科・専攻科別卒業證書交付原簿の各複製、複数年分の東洋紫苑会会員名簿、東洋女子歯科医専石碑除幕式関係、校章デザインの各種記念品などです。

この後、半年をめどに整理、保存の処置をとっていきます。

1998年5月、ホテルオークラにおける最後の東洋紫苑会。前列左から5人目は故総山孝雄先生。総山先生は復員後、1946年暮れに東洋女子歯科医専に着任した、同校末期の代表的教員です。東洋女子歯科医専廃止後は母校、東京医科歯科大学に戻り、後に同大学名誉教授、1987年に日本学士院会員。その右隣が最後の会長である吉田恵美子先生、続いて学校法人東洋学園理事長・東洋女子短期大学学長だった故馬渡房先生(当時は名誉職である学校法人東洋学園の学園長)。
東洋紫苑会はもう少し長く続けていてくれたらと思うことがしばしばですが、当番(幹事)が最後の25回生に回った時点で、余力を残したまま思い切りよく解散しました。
総山孝雄先生の日本学士院会員選任記念文集各種。いずれも東洋女子歯科医専時代のことを懐旧する記述があります。1947年4月の第1回歯科医師国家試験で、空襲で施設を全焼して最もハンディキャップを負った東洋女子歯科医専が全国の歯科大学・歯科医専中、第2位の合格率を達成し得たのは、総山先生の力量によるところが大でした。
東洋女子歯科医専校歌メロディの録音テープ。同校校歌は2010年5月の第1回東洋学園ホームカミングデーで60年ぶりに演奏、唱歌されています(同音源も収録済みです)。
東洋紫苑会名簿。表紙は校章のアレンジです。毎年発行され、それぞれに異動が細かく加筆されており、同窓会活動の基本が同窓生の所在把握であることを示しています。
初入手の1936(昭和11)年度11回生卒業アルバムにあった写真、黒板一杯に描かれたベティちゃんです。当時、一世を風靡していました(現代の基準での差別用語が見受けられる点はご寛恕いただければと思います。建前でない当時の学生の本音、肉声の伝わる資料として紹介しています)。
右端に「皆さん、述懐碑を樹てやうね、四年半の思(い)出が直ぐひき出されるやうに、我々の心の中へ!」とあります。

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