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2011年11月14日

小冊子『「ラヂウムに就て」1933・「原子炉のかたわらから」1949』を学内配布。

11月6日記事に引き続き、和久本文枝東洋女子歯科医学専門学校教授に関して。「ラヂウムに就て」は『東洋女歯校友』第17号(東洋女子歯科医学専門学校校友会発行 昭和8年7月)に掲載された論文です。基本的に校友会誌である『東洋女歯校友』は在学生の寄稿によるものですが、本稿は「3月試演会特別講演」と注記され教員による啓蒙的なケースであることが窺われます。

本年3月11日の大震災と津波によって引き起こされた原発事故はいまだ収束せず、今日に至るまでこれに関する情報は膨大なものがあります。しかし、科学的な根拠、省察に基づくものは必ずしも多くありません。本稿は学生に対して放射能と放射性物質、放射線治療を紹介する内容です。1933(昭和8)年の古い発表ですが、本学は1950年に医・理系を廃止しており、歯科医学(科学)の立場から放射能を説いた現存唯一の学内資料です。天然由来の放射性物質しか存在しない時代の論文ですが、私たちが事態を科学的に考える一助になればと思い、リライトしました。

一方、「原子炉のかたわらから」は戦後初期のエッセイです。本年6月23日の調査で入手した旧制東洋高等学校の文化研究会が発行した『文化』第8号(昭和24年12月)に所収されていたものです。

旧制東洋高等学校は理科乙類という、大学医学部進学を前提としたコースでしたので、物理、化学を中心とした理系のリベラルアーツ教育を行いました。筆者は物理学を担当した小林一雄(兼任講師)で、東京帝国大学理学部卒ということ以外、情報はありません。

1949(昭和24)年は連合国による占領期で、長い戦争と敗戦による荒廃、混乱に時代的思潮が重なって階級対立の激しい時代でした。本稿は「原子核の燃焼」による「無尽蔵な力」が階級対立を解消し、「無労働時代が、第二の機械革命が足音高くおとずれている」という、非常に楽観的な見解に拠っています。

興味深い点は、筆者の東京帝国大学での師(であると思われる)、理論物理学者・渡辺慧が『中央公論』1948年2月号に発表した「原子党宣言」の本歌取りであるいうことです。「原子党宣言」の筆者とされるアンパニウス氏に加え、新たな人物「シゲツラー君」が登場します。ヨセフ・シゲツラーは1942年12月2日、人類史上初めて原子エネルギーの解放に成功したシカゴ郊外のアトミックパイル(原子炉)研究所に勤務する科学者という設定です。

『「ラヂウムに就て」1933・「原子炉のかたわらから」1949』表紙
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