東洋学園大学 史料室

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2016年9月26日


東洋学園栃木寮(槃澗学寮)より東洋学園創立者・宇田尚(1881~1968)葬儀の弔辞6通を移管受託。


 東洋学園創立者・宇田尚(うだひさし/号・槃山 ばんざん)は1968(昭和43)年3月7日に没し、葬儀は同月7日に青山葬儀所で大学葬として営まれました。

 その際の弔辞が栃木寮(槃澗学寮)の仏間に残っていたのを遺族が見つけ、同行した本学施設部長の手を介して持ち帰られたものです。

 6通はそれぞれ財団法人斯文会長・徳川宗敬、衆議院議員・小山長規、旧制東洋女子歯科医学専門学校同窓会(東洋紫苑会)長・和久本文枝東洋女子短期大学教授・青木常雄、東洋女子短期大学同窓会長・岩間和歌子、栃木県上都賀郡粟野町長・滋(1字不明)忠太郎です。粟野町長のみ4月10日付で、宇田尚が少壮の頃と晩年に過ごした栃木で後日、お別れの会が催されたことが窺われます。

 弔辞は読む人が故人を偲ぶとともに、各々の立場から故人の功績を称え、列席者に知らしめる性格を持ちます。国政、斯文会(湯島聖堂)、東洋女子歯科医専、東洋女子短大、粟野町(現鹿沼市の一部、旧永野村)、それぞれの弔辞を総合すれば宇田尚の生涯の総括となります。その点に資料的価値が認められるものです。

※葬祭儀礼資料につき画像は公開しません。


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