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2016年5月21・22日


第117回日本医史学会総会・学術大会(広島)に参加、「東洋女子歯科医学専門学校校長・宇田尚(第2報)」を報告。


 参考:
 第117回日本医史学会総会・学術大会
 2015年4月25・26日 第116回大会


 今年は広島駅新幹線口至近の広島県医師会館が会場です。昨年より宇田尚の生涯を通して医学、歯科教育と本学の関わりを報告しています。前回は湯島聖堂恩賜神農像とその廟堂が今そこにあることに、東洋学園創立者で財団法人斯文会(湯島聖堂)理事・宇田尚の働きがあったことを示しました。

 今回は宇田の幼少期から人脈形成のきっかけとなる従軍時代、北白川宮成久王近侍から実業界への転身、歯科教育との接触までを報告しました。


 報告では宇田尚と医学界の初接点として金杉英五郎に触れました。金杉英五郎は日本耳鼻咽喉科学会の創設者で東京慈恵会医科大学初代学長、没するまで本学(東洋女子歯科医専)顧問を務めています。欧州大戦でドイツから医薬品輸入が途絶えた状況に応じ、金杉らが設立した医薬品貿易商社の経営に宇田尚、青山幸宜ら実業家グループが参画したことで医学との接点が生じたと考えられます。

 子爵青山幸宜は宇田尚を実業界に誘い、他界するまで実業上の師でありパートナーだった元美濃国郡上藩主で、東洋女子歯科医学専門学校第2代校長です。過年、本学会員の森永正文先生(愛知県)に当室所蔵青山幸宜資料を提供し、森永先生は昨年、青山幸宜に関する論考を発表されています。

 今回の報告の抄録は『日本医史学雑誌』62(2) .1562号に掲載されています。


広島市は医学史の泰斗、富士川游の故地です。
新幹線口周辺は再開発が進められており、会場ホールは話し易く、長時間聴くにも疲れない最新の施設です。隣接するJR広島病院も新築直後と見受けました。
報告は二日目の23日(日)、第1会場の第48席。写真は他の先生のご発表です。
第2会場は近世以前を扱います。
オバマ米大統領訪問1週間前の原爆ドーム(旧広島県物産陳列館)。
担当者は20年前、日本私立短期大学協会の教務担当者研修会で当地に出張しています。仲良くなったグループで終了日の午後は宮島に遊び、夕方になって広島平和記念資料館を見学しましたが、実物資料の展示があまりに重く、あえて原爆ドーム至近を避けて紙屋町まで歩いたことを思い出します。
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