東洋学園大学 史料室

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2015年10月22日

森永正文先生(愛知県・耳鼻咽喉科・日本医史学会)より論文「最後の郡上藩主青山幸宜公と東洋女子歯科医学専門学校」を受贈。


 「最後の郡上藩主青山幸宜公と東洋女子歯科医学専門学校」、掲載誌は郡上史談会『郡上史談』147号(2015年10月)です。子爵青山幸宜公と、公が校長を務めた本学(旧制東洋女子歯科医学専門学校)との関係が資料を基に丁寧に説かれ、資料に対する筆者の誠実な姿勢が窺われます。


 森永先生とは2011年の第112回日本医史学会(順天堂大学)で、日本歯科大学新潟生命歯学部 医の博物館の樋口輝雄先生(参照:10月27日記事)のご紹介により面識を得ました。その後、森永先生から青山幸宜関係資料をご提供いただき、折り返し、当室が所蔵する本学の青山幸宜資料をお送りしました。本稿はお送りした資料が存分に生かされた論考となっています。

 本稿には示唆を得るところが多く、郡上藩藩校の正しい名称のほか、本学創立者の宇田尚が北白川宮成久王に近侍中、青山幸宜の知遇を得たきっかけとして、成久王の兄、竹田宮恒久王妃の昌子内親王が当室所蔵資料・青山幸宜履歴書に記された“常宮”であったことは盲点でした(青山幸宜は廃藩後、勅命により常宮内親王のご教育にあたっていました)。青山幸宜と宇田尚の接点は森永先生のご推論通りと思います。


 本学は東洋女子歯科医専が文部大臣指定認可を得た1926(大正15)年を周年基点としており、2016年は創立90周年、翌2017年は前身の明華女子歯科医専が講習所として1917(大正6)年に開校してから100周年にあたり、本年度後期から17年かけ、創立期を集中的に取り上げていく予定です。その矢先に本稿をご恵贈いただいたことを多とし、今後に生かしたいと思います。


 参考:2011年7月26日


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