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2013年10月15日


『(槃澗学寮)東洋学園栃木寮ガイド』を刊行。


 (同書前文より引用)

 東洋学園栃木寮(槃澗学寮 はんかんがくりょう)の概要


 栃木寮は学園の施設としての名称で、本来の名は槃澗学寮です。学校法人東洋学園の創立者、宇田尚先生(号:槃山 1881~1968)の父、宇田廉平先生(諱:子直、号:白里 1840~1906 以下敬称略)が1872(明治5)年に移り住み、奈良や東京への赴任を挟みつつ、明治39年の終焉まで暮らした地です。耕作地、周囲の山を含め広大な敷地を有し、自然の中で悠々自適の境涯を詠った詩経『衛風』の一節「考槃在澗碩人之寛」から、槃澗書屋と名づけられました。

 宇田廉平は1897(明治30)年に官立学校の教員から退官して再びこの地に落ち着くにあたり、書斎、応接室、寝室、食堂、養蚕室などを備え、旧宅の三倍の規模の「重屋数十楹」(数十本の柱のある二階建て)を新たに建て、別に三間の平屋には牛馬を飼ったと記録にあります。現在の母屋の原型はこの時に形成されたと思われます。

 宇田尚は東京府の下谷区下谷竹町で生まれ、奈良で暮らしたこともありますが、学齢に達して以降、兵役(日露戦争)を挟んだ雌伏の期間の大半をこの地で過ごしました。1930(昭和5)年に宇田廉平の二十五周忌を期して槃澗学寮賛助会を組織し、家屋を増改築してさらに規模を拡大し、名を槃澗学寮と改めました。以来、補修の手は入っていますが、基本的に変更を加えず今日に至ります。


 栃木寮は関東平野の末端から足尾山地(安蘇山塊)に分け入った標高約300mの地点にあり、前を利根川水系の永野川(百川渓谷)が流れています。この環境にある栃木寮は、交通手段の発達した今日では栃木市街へ車で30分の距離にありながら、今なお人里から隔絶した山深い桃源郷の趣を湛えています。

 永野川の清流を引き入れて生活用水とし、貯水池にはヤマメやコイが群れています。周辺には渓流釣りのポイントや釣り堀が点在する一方、至近にはゴルフコースもあります。

 満山が万緑に湧く春から初夏へ、盛夏も蚊に悩まされず、朝は肌寒いほどです。秋は錦秋の紅葉に彩られ、冬は山と耕地の境に植えられた梅の花の香りに満ちます。

 自然の中で都会の疲れを癒し、リフレッシュして下さい。(引用終)


 10月19日実施の本学職員による同寮見学に合わせ、比較的平易な内容の「利用案内(ガイド)」として作成しました。


 ※本施設は原則として学外非公開です。

 10月17日の現地

 参考:2012年10月5日(以前の記事へのリンクあり)


表紙と裏表紙は旧制最後の歯科医専・高等学校長で、新制短大初代学長、馬渡一得(医学博士 1894~1974)による水彩画。
扉見返しのグラフ。
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