東洋学園大学 史料室

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2012年10月12日


大学史の研究会終了後、東洋女子歯科医専23回生(1948年卒)の山本美代子先生を訪問し、お話しを伺いました。在学中のできごとを中心に幼時から今日まで、ご家族のこと、医業に対するお考えなど、東洋女子歯科医専に学んだ典型的な医家出身学生とそのご家族の事例をまた一つ、積むことができました。

ご尊父は東京歯科医学専門学校(現 東京歯科大学)を卒業して大阪の心斎橋で開業され、先生が幼い頃は、鉄道省嘱託医だった父上とともに上京する際の東海道線が丹那トンネル開通前、御殿場回りの時代でした。いとこの勧めで歯科医師を志すと、女子の歯科医専は東京に2校しかなかったので、敗色濃い世相下、ともに本郷の東洋女子歯科医専に入学されました(「指定」を受けていない女子の歯科医学校は他にも存在)。

終戦後、空襲で焼失した学校の復興と大学昇格のため、校友会が主催して船橋劇場で復興演劇祭を行い(津田沼仮校舎の時代です)、校友の縁故で高峰秀子、古川緑波など東宝の俳優、芸人が客演し、娯楽の少なかった当時、大変な盛況でかなりの収入を得たことがありました。これを法人の理事で大蔵官僚だった愛知揆一(5日記事参照)が援助して非課税扱いとなり、手続きに松戸税務署へ行ったという話を20回生から伺ったことがありますが、本日伺った話では20回生の指示で税務署に行ったのは山本先生だったということでした。

最初は一人の記憶、述懐が、こうしたことの積み重ねで正確な記録となっていきます。

現在の京都の医院は患者さん、勤務するスタッフ、それに指導を求める後進の数も群を抜いて多いようにお見受けしました。患者さんの身になり、丁寧で長持ちのする治療を心がけていただけ、と謙遜されますが、歯科医院より病院と称した方がふさわしい規模に育て上げ、現在も現役で治療にあたり、植木、草花を育て、余暇には元気にあちこち旅行にでかける活動的なお姿に感銘を受けた次第です。

お忙しいところ貴重なお時間を割いていただき、また夕刻より一席設けていただきました。お心遣いにあらためて感謝申し上げます。

京都駅烏丸口至近、(街路樹のため看板が写りませんでしたが)京阪京都ビルの3階が全て山本歯科医院です。もとは七条通りを渡ったご自宅で開業されていたということですが、烏丸七条の角へ、次いで現在地に移られたそうです。
ユニット(治療台)は17台あるということで、勤務している歯科医師、歯科衛生士などスタッフは名札に20名以上掲げられていました(プライバシー保護のため修正)。
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