東洋学園大学 史料室

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2013年2月26日


財)偕行社主催、安全保障シンポジウムにあたり(会場:本学本郷1号館フェニックス・ホール)、本学と国防の歴史的関連に関する資料『東洋学園創立者 宇田尚の中国視察行 1929』を作成提供。


本年のシンポジウム(司会:愛知和男学校法人東洋学園評議員・元防衛庁長官、委員長:冨澤暉本学客員教授・学校法人東洋学園理事・元陸上幕僚長)には、本学の創立者・宇田尚と医学者金杉英五郎による1929(昭和4)年6月の中国視察行をとりあげました。

また、本題材を扱ってこれに先立つ2月15日の日本歯科医史学会第408回例会で「東洋女子歯科医専理事長,宇田尚の中国視察行 1929年」として発表しました。


宇田尚(うだひさし 1881~1968):財団法人東洋女子歯科医学専門学校(現 学校法人東洋学園)理事長(1930年から校長兼務)

金杉英五郎(1865~1942):財団法人東洋女子歯科医学専門学校顧問・協議員/慈恵会医科大学学長、東京歯科医学専門学校(現 東京歯科大学)監事、貴族院議員


昨年は辛亥革命により清朝が倒れ、孫文が臨時大統領に就任して中華民国が成立してから百周年の年にあたりました。孫文は1925年に亡くなり北京に葬られますが、1929年6月1日に移柩祭を挙行して南京に造営した中山陵に改葬されます。

移柩祭には古くから孫文ら革命党を支援してきた犬養毅、頭山満が、この国家的行事に国賓として招かれて列席しました。宇田尚と金杉英五郎は犬養、頭山一行から少し遅れて日本を発ち、上海・青島航路の大連丸船中や前後の宿舎で彼らと中国の国情、情勢について意見を交わし、宇田尚はこの視察行により隣国への認識が変わったと東洋女子歯科医専学生に対する講演で述べています。

孫文、5.15事件で暗殺された「憲政の神様」犬養毅、国家主義者の頭山満と宇田尚、共通点は大アジア(汎アジア)主義にあったと思います。日本が盟主・指導的立場という前提の下、アジア諸国を植民地、半植民地支配から解放し、連携して欧米列強に当たり、共存共栄するという考えから、当時一般的だった対中蔑視を戒め、評価すべきところは評価し、相手をよく知らなければならないというのが講演の主旨です。

隣邦中国が今後いかなる発展を遂げ、これとどのような関係を結ぶのかが日本の将来最も注意すべき点であると結語しており、あたかも今日的課題のようにも読めます。


行程は上海、南京、青島、大連、旅順、太沽、天津、北平(現 北京)、奉天(現 瀋陽)です。奉天から日本領だった朝鮮の京城(現 ソウル)を経て帰国しています。

犬養一行と分かれた後、奉天では張学良(奉天軍閥)幹部と面会しています(資料表紙)。張作霖爆殺事件の約半年後です。

宇田尚は後に日華事変(日中全面戦争)下の北京臨時政府教育部最高顧問、東亜文化協議会理事などを務め、中国政策に深く関わっていきます。宇田尚の中国との関わりを示す以下の写真も掲載しました。

学習院高等科留学中の溥傑と皇帝溥儀の皇后婉容の弟、潤麒と宇田尚。

北京臨時政府教育部長・東亜文化協議会会長の湯爾和(金沢医専・ベルリン大学卒、医学博士)らの宇田邸訪問、など。


安全保障シンポジウム向け東洋学園大学歴史資料1~3(残部あります)

2010年 「偕行社特報 日露戦役記念号」(1936年)に記録された創立者 宇田尚の功績

2011年 習志野時代の東洋学園と陸軍戦車第2連隊(秋山騎兵旅団) 1946~1950

2012年 海防艦見島と海軍十一試機上作業練習機 ―海軍軍医宇田倹一と三菱重工技師榊原帯刀


参考:公益財団法人偕行社2010年8月10~11日、涅槃澗学寮資料調査


資料表紙(全12ページ)。写真は奉天北陵における張学良軍幹部と宇田尚ら。
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