東洋学園大学 史料室

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2011年度11月 月報

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2011年11月9日

  • 第13回図書館総合展・学術情報オープンサミット2011(於:パシフィコ横浜 9~11日)を見学。主に資料保存、活用の最新動向を知るため。
  • 宇田愛(編)『榊原帯刀』、宇田倹一『おもかげ 妻三重子の回想』を入手、収蔵。 

榊原帯刀(1906~1937)は陸軍中将榊原昇蔵の次男、東洋学園創立者・宇田尚長女房の夫で学校法人東洋学園第5代理事長・宇田正長の実父。第三高等学校、東京帝国大学工学部航空学科卒、第1回日仏交換留学生としてフランス留学後、三菱重工業株式会社名古屋製作所設計課に勤務した航空機設計者。設計に携わった機体はひなづる号軽旅客機(英エアスピード社エンボイ"Envoy"の改修国産化)、海軍11試機上作業練習機(K7M1)。ひなづる試作機のテスト飛行中、各務ヶ原飛行場で殉職。

宇田倹一(1896~1975)は宇田尚の次兄・宇田愿次郎の長男。海軍軍医学校卒、医学博士(精神科)、財)東洋女子歯科医学専門学校協議員。皇太子裕仁親王(昭和天皇)が英国王ジョージ6世戴冠式出席のため訪欧の際、戦艦「鹿島」乗り組みで随行。終戦時、野比海軍病院精神科長として厚木基地叛乱の責任者である302空司令小園安名大佐の強制入院に関わる。長女は斎藤茂吉長男茂太に嫁し、1939年に宇田倹一が府中市浅間町に設立した宇田病院は、後に(斎藤家の)青山脳病院を継承する形で斎藤病院となった。

宇田倹一その他資料 2010年8月10~11日

10月24日に作家の北杜夫(斎藤宗吉)さんが他界された後、宇田家の遠縁の方から先祖探しのご依頼がありました。上記のように斎藤家と宇田家に縁戚関係があったことから、北先生の訃報に接してルーツを辿る決意をされたとのことでした。本学園理事長及び宇田家の了解の下、必要な情報をお伝えしましたが、上記の書籍はこの際、現有資料以外の一族に関する資料を求めた結果、新たに入手したものです。
(注:現在、斎藤家と東洋学園の宇田家との間に関係はありません)

『榊原帯刀』装丁、出版は1941年。
表紙装丁のモデル、11試機上作業練習機の本書挿入写真。キャプションには「偵察機」となっており、これが防諜上のためか、編著者の軍用機に関する知識不足によるかは不明。しかし、宇田尚による「序」に機番号「K7M1」が記されていたことで、本機を11試機上作業練習機と特定しました。
(写真の無断使用はご遠慮下さい)
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