江澤雄一学校法人東洋学園理事長のご厚意により、今夏も同ご夫妻と栃木県鹿沼市の槃澗学寮に一泊し、資料調査を行うことができました。今回も湿度が非常に高く、あまり多くの資料を開くことはできませんでしたが、昨年目星をつけておいた宇田尚先生著書を持ち帰ることができました。
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『日本文化に及ぼせる儒教の影響』 東洋思想研究所 1935年
宇田尚先生には数多くの著書がありますが、本書はその代表的な存在、1,120ページの大著です。序文は徳富蘇峰と塩谷温が執筆しています。発行は宇田先生が主催した東洋思想研究所。 |
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『来る可き時代のために』 東洋思想研究所 1936年(39年第3版) |
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本書の序もまた、徳富蘇峰です。その他、『我が国体の本質』、『正名論』など、いずれも敗戦を境に否定された思想で今日、顧みられることはありませんが、創立者の辿った思索と思想を避けて大学史を語ることは不可能です。内容の適否は別として、その全貌を明らかにすることは東洋学園大学に課せられた責務でしょう。 |
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この書籍は新発見です。宇田尚先生の兄、宇田愿次郎の長男、宇田儉一の著書『雪屋草堂雑記』(1973年)です。宇田尚先生と同じく、幼い頃、槃澗学寮で育ち、長じて精神科の医師となりました。昭和天皇皇太子時代の欧州歴訪に軍艦鹿島乗り組みの軍医として随行するなど、興味深いエピソードが綴られている他、宇田尚先生の父、宇田廉平子直(白里)について多くの知見を得られました。この時代の典型的な知識人らしい落ち着いた文体で、今でも熱を帯びているような宇田尚先生の文章とは好対照です。 |
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『雪屋草堂雑記』扉より、宇田儉一医学博士。 |
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槃澗学寮の立つ広大な山中には碑が多数林立しています。内、代表的なものとして宇田廉平の事跡をまとめた『槃澗書屋記』が挙げられます。明治30年、塩谷時敏(青山)の撰字、題字は徳川家達です。塩谷時敏は『日本文化に及ぼせる儒教の影響』の序を著した東京帝大教授・塩谷温の父で、旧制一高で宇田廉平と同僚教授でした。石碑に加工する前の原文で軸装されています。これも初見です。 |
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石碑の冒頭(部分)。 |
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その原稿にあたる箇所。 |
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学寮にはこんなものもあります。明治23年の第3回内国勧業博覧会記念プレート。会場は上野公園でした。この頃、宇田廉平は第一高等中学校(後に第一高等学校、現東京大学の一部)倫理学教授です。最古の歯科大学、東京歯科大学の前身、高山歯科医学院が設立されたのもこの年でした。 |
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昨夏、人の足下で草を食べていたウサギ。今年は見かけません。筆者到着前日まで見かけたそうですが、犬も遊びに来たので用心深く姿を見せないようです。 |
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ウサギの遊び場、庭とその一隅にある農機具置き場。槃澗学寮は本学教職員であればいつでもご利用できます。 |