東洋学園大学 史料室

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2011年6月11日

東洋女子短期大学英語英文科34回生(1985年卒)村上洋子様より、在学時の教科書、ノート、参考書、タイプライター29点をご寄贈いただきました。

処分するか、残しても少数を記念に、というケースが多い学生時代の教科書類を、まとまった形で保存されている方は少ないと思います。学校も毎年の使用教科書を保存するスペースはなく、数年で急速に散逸してしまいます。

並べて見てみると、2009年3月16日記事の11回生(1962年卒)佐志原圭子様寄贈資料と比較して、意外なほどに変化がありません。1940、50年代初版のテキストも採用されています。

1960年代後半から学歴エリート文化の象徴であった大学の教養主義に翳りが生じ始め、1970~80年代にかけて新中間大衆社会のエンターテインメント文化にとって変わられたという分析があります(竹内洋『教養主義の没落』、『学歴貴族の栄光と挫折』)。1980年代は戦前の高等教育を受けた最後の世代の引退期であり(例えば1915年生まれで終戦時30歳の人が1985年に70歳)、東洋女子短期大学でも1950年の設立当初から関わった教員群が最後の勤めを果たしていました。大学が古い時代の大学像、古典的教養主義を保った最後の時代を、東洋女子短大の使用教科書からも窺うことができるように思います。

この後、1992年をピークに18歳人口の減少が始まり、これを見据えた1991年の大学設置基準大綱化(簡素化、自由化)がありました。その後の四半世紀における大学のあり方、教授法の変化は、それ以前の四半世紀に比べ、いかに大きかったかを感じさせられます。それは一私学である東洋学園にも例外なく影響し、むしろ小規模である分、影響は大きく、当時誰も思い及ばなかったであろう変化を遂げました。

近過去の資料ですが、一人の学生が2年間の在学期間を通じて受けた教育を語る資料として、後世に送りたいと思います。

写真は全体の半数程度ですが、英文講読、文法の教科書です。 "MODERN BRITISH SHORT STORIES"、"THE GOLDEN TREASURY"、"THE GREAT GATSBY"、"ALICE IN WONDERLAND"など、典型的な女子大採用テキストではないかと思いますが、現役の教員に聞くと、今は小説をテキストに使うことはほとんどなくなったということです。
P.L.TRAVERSの"MARY POPPINS"の注解は早稲田大学商学部教授で本学にも長く出講し、晩年は学校法人東洋学園の理事でもあった林容吉先生です。岩波書店のメアリー・ポピンズシリーズは全て林容吉先生の訳です。
当時は課外(別科)で英文タイプの授業があり、大多数の学生が受講していました。学校専用タイプライティングペーパーのクローズアップ。
1960年代のタイプライターと比べるとこちらはかなり現代的な外観になりましたが、タイプライターそのものがその後ワープロに、さらにPCにとって代わられました。しかし、英文タイプで習得したキータッチは今でも役立っているはずです。
ルネ・ラルー(吉田健一 訳)『英文学史』の扉に芹沢栄先生のサイン。芹沢栄先生は東洋女子短大"創立"期からのベテラン教員(非常勤)で、初代主任教授青木常雄先生と同じ東京教育大学(東京高等師範→東京文理科大学→教大→筑波大学)の後輩、自身も『英文解釈法』などの著書があります。
この写真は短大1回生(短大初代同窓会長)岩間和歌子様所蔵の、芹沢栄先生若き日の写真(195052年撮影)。村上様ご寄贈の参考書に永沢幸七先生(心理学)の著書が多く含まれていましたが、永沢先生も東京教育大学系の研究者です。非常勤ですが本学の行事には熱心に参加し、学生に慕われていたことが、今に残る写真からも窺えます。芹沢、永沢両先生とも1988年まで出講されました。
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