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2011年7月26日

愛知県の森永正文様(医博、日本医史学会)より、郡上藩主青山幸宜関係資料をご恵贈いただきました。

子爵・青山幸宜は美濃国郡上藩(ぐじょうはん 郡上踊りで知られる郡上八幡)最後の藩主であり、維新後は華族実業家に転身しました。華族実業家は岩倉具視が代表的存在ですが、岩倉が提唱した日本鉄道(現在のJR東日本東北本線、常磐線、高崎線など)に、青山幸宜も経営陣として参加しています。鉄道員養成のため設立された岩倉鉄道学校(現岩倉高等学校様 本学にも進学していただいています)にも理事として関わりました。

東洋学園創立者宇田尚は青山子爵の事業パートナーであり、その期間は明治末期から昭和5年2月6日の青山子爵逝去まで及びます。この関係で明華女子歯科医学専門学校を前身に"創立"した東洋女子歯科医学専門学校の初代理事長には青山子爵の五男で、出羽亀田藩主岩城家へ養子に出た子爵岩城隆徳を迎え、第2代校長には青山子爵自身が就任しました。

この間の経緯については、本稿では紙数が足りません。2010年4月16日の日本歯科医史学会第384回月例会における発表「東洋(明華)女子歯科医専文書と全国大学史展」及び、同年10月2日第38回学術大会「東洋女子歯科医学専門学校創立期文書について(2):明華女子歯科医学専門学校後援会趣意書」発表資料にまとめています。ご関心のある方には残部をお譲りいたしますので、お問い合わせ下さい。

森永先生には6月の日本医史学会で初めてお会いし、従来、本学資料では次男、ウェブ上などでは四男とされている岩城隆徳が五男であることを示す資料をご提供下さるなど、有益かつ重要なご教示をいただきました。

青山幸宜(1854~1930 東洋女子歯科医専校長事務取扱1928~、校長1929~1930)
岩城隆徳(財団法人東洋女子歯科医専〔現 学校法人東洋学園〕理事長1926~1928)
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