東洋学園大学 史料室

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2014年5月28日


旧制東洋女子歯科医学専門学校16回生(1941年卒)西村マホ子先生資料の資料複製納品。


 資料受贈までの経緯は本年3月21日をご参照下さい。

  • ノート「歯冠架橋学 入交直重先生講・飯岡スガ先生講」西村マホ子(1938~40年)をカラー撮影(電子媒体化)。
  • 「つばさ 昭和拾六年度卒業記念帖 東洋女子歯科醫學専門學校」(1941年)をマイクロフィルム化(モノクロ)、カラー撮影、モノクロ・カラーとも電子媒体化、複製本を作成。


 ノートは昨年の秋山家資料同様、寄贈して下さった方の家に何らかの形で残るよう、配慮させていただいたものです。


 卒業アルバムでは1941年の学会大会の鮮明な写真を得られました。

 戦前の歯科医学界では現在のような研究機関(大学)間を横断する学会がなく、それぞれの学校(旧制専門学校)単位だったと聞きます。日本の歯科医学を牽引する男子伝統校の学会が研究業績を重ねる一方、後発の女子校はまだその域に達せず、教育機関に留まっていました。1918(大正7)年の大学令以降、男子校に大学昇格を目指す動きがあったことは、教育に留まらず研究機能を充実させてきた実績があってのことです。

 本学(東洋女子歯科医学専門学校)では1930(昭和5)年、試演会の名称で例会レベルの学会を定期的に開催するようになりました。これは専攻科生(最終学年)による臨床・文献研究の口演と討論会で、今日の学会例会と変わらない形態です。1938年より月例研究会、1940年からは東洋歯科医学会例会と改まり、名称からも学会の体裁が整ってきたことが窺われます。

 1941年5月11日、東洋歯科医学会第1回学術大会が挙行されました。2ヶ月後の校友会誌は学術大会特集を組み、女性による大会レベルの学会は世界の歯科医学史上初と自負を隠しませんでした(欧米では共学が当然で、男女別学の歯科教育機関がなかったことによるのですが)。

 会長:宇田 尚(校長)

 準備委員長:入交直重(教授・附属病院長)

 司会:岩橋章(教授・副院長)  以下、講演部、陳列部、庶務部、会員部

 特別講演:福士政一(病理学講師)「各疾患と口腔粘膜の変化(口腔粘膜の病理学的研究)」

 (一般)講演 29

 示説 8

 懇親会:雨月荘(上野池之端)

 旧明華女子歯科医学校・歯科医専の「指定前」卒業生から東洋女子歯科医専1~15回生の卒業生、在校生の約350名が参加。


 卒業アルバムには当時の雑誌印刷技術では不鮮明だった学術大会の模様が、精細な印刷で記録されていました。

 学会ですので当然、講演、示説の発表者は力量のある卒業生、教員らにより、在校生は大会運営と聴講、見学による勉強が専らですが、卒業後は助手として学校に残るよう嘱望されていた専攻科生の西村マホ子先生も、熱意を持って取り組んでいたことと思われます。

 学術大会を成功させ、研究機関の機能を持ち始めた、それは臨床家の養成機関である専門学校から研究機関である大学への階梯を登り始めたことにほかなりませんが、以後、本校で大会が挙行されることは二度とありませんでした。この年の12月8日、大東亜戦争(当時)が開戦したからです。

 このアルバムは東洋女子歯科医専が戦前、最高の水準に達した時の貴重な記録です。


 また、前年の1940年に学士会館で挙行された皇紀二千六百年記念歯科医学会(全国規模の学会で参加約3,000名)の記録も掲載されています。東洋歯科医学会からは小松崎君子助教授が「継承歯牙ヲ有スル上顎対照性切歯部乳歯過剥歯ノ一例」を、矯正科の水島千代子助教授は「本校附属医院ニ於ケル矯正患者ノ統計的観察」を報告しています。

講演を座長が仕切り、映像資料を映写するスライドが置かれています。示説はデモンストレーション(またはテーブルクリニック)、陳列はポスターセッション(写真には実物展示もあります)。基本的に今の医学系学会と変わらない印象です。
スナップ写真のページ。左上2点は柳並木の銀座、喫茶店内の白い夏の制服の人物の左が故西村先生。西村元宏先生がこの写真を切り出してカラー化して下さいました。ご紹介したいのですが、入梅して多湿な気象ですので(本稿作成6月11日)、資料保護のため紙焼きプリントを使った作業は控えたいと思います。
右下写真は本郷通りの東にあった映画館の本郷座。本校生徒のご用達でした。左下の蕎麦屋は大横丁通りのようです。
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