東洋学園大学 史料室

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2014年3月21日


来室: 旧制東洋女子歯科医学専門学校16回生・西村マホ子様ご遺族、西村元宏様。資料をご寄贈(等)いただく。


 三重県熊野市の西村歯科医院院長、西村元宏先生とは2011年10月7日にお目にかかりました。詳細は左記をご覧いただければと思います。西村先生は同年4月に逝去されたご母堂で前院長、西村マホ子先生の遺品を整理しながら不明な点の解明、写真のカラー化に努められており、その一環で当室にご連絡をいただきました。その年秋に三重県伊勢市の皇學館大学で開催された全国大学史資料協議会全国研究会で研究報告をした事後、熊野市へ足を延ばしました。

 その際に拝見した整理中の資料には、初見の臨床実習成績優秀者に対する表彰状などがありました。優秀者表彰の制度がいつからいつまで存在し、どのような内容だったのか具体的記録がなく、限られた人以外所持し得ないものから希少な実物資料です。以後も他例を見ません。記念に授与された腕時計が失われたことを惜しむ言葉を西村先生から伺いましたが、同じ気持ちです。

 その後は毎年、紀州のみかんを送って下さるお気遣いまでいただいていましたが、この度、ファイルに収めた多数の大判カラー化写真とともに、1941(昭和16)年度卒業アルバム、本科2~3年次の歯冠(クラウン)・架橋(ブリッジ)講義ノートを携えご来室下さいました。

 3月22日放送のETV特集「よみがえる色彩 激動の20世紀 アーカイブ映像の可能性」は、海外の先行事例をとり上げつつ、現在進行している東京を記録したモノクロ映像カラー化の取り組みを紹介するものでした。今秋放送予定のその番組の色彩考証に当室も若干関わっていますが、推測に頼らず、資料収集と実地調査に労を惜しまない考証に対する姿勢は、西村先生もまた同様でした。母堂の卒業旅行の撮影地を同定するには現地に赴くほど徹底したものです。学校周辺の当時の様子については、当室のほか区の歴史館にも照会されていました。カラー化された写真にはこのような歯科医師らしい科学的な態度と合せ、母堂に対する追慕、母堂を含む祖先に対する尊敬の念がこめられたものです。

 ご寄贈、また貸与下さった資料の一部を紹介しつつ、あらためて御礼申し上げる次第です。


2011年10月7日の記事に掲載した写真をカラー化したものです。カラー化は見る者に、今とは無縁の遠い過去、という先入観を払拭させる絶大な効果があります。
この場所は校舎の壱岐坂下側にあった学生用通用口で、現在はフェニックス・モザイクのある位置です。
もとのモノクロ写真。上と見比べて下さい。
1941年度・16回生卒業アルバム「つばさ」。綴じも補修済みです。
校歌筆跡同定の資料として、高等女学校時代の西村マホ子先生による王羲之の書などもご用意されていました。能筆家だった西村マホ子先生によるものと考えて間違いないものです(加えてアルバム編集委員でもあります)。
歯冠架橋学ノート。ブリッジとクラウンに関するノートで、入交直重教授(附属病院長)と飯岡すが講師(東洋女歯4回生)の講義をとったもの。図には適宜色鉛筆を用い、美しいノートを作成しています。表紙左上の意匠は校章(TDC)。
西村元宏先生。ご来訪当日、史料室事務室(企画開発本部広報室の一角)で。
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