東洋学園大学 史料室

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2013年6月25日


往訪:東京都中央区 旧制東洋女子歯科医学専門学校19回生・秋山幸先生(第2回調査)。


 整理したところ、新たな資料が出てきたとのことで再度ご自宅に伺いました。3月、5月に続き、秋山先生から三度目の資料提供です。


 私立明華女子歯科医学校 『卒業紀念(思ひで)』 1920(大正9)年6月


 過剰な修飾語は使わないようにしていますが大発見です。今となっては、明華時代の資料が国公立文書館以外から出てくることはまずないと思っていましたので。奥付の発行日は1920年6月、卒業は扉の文言から半年前の1919(大正8)年12月です。

 アルバムに掲載された19名の卒業生は、1917(大正6)年9月12日の明華女子歯科医学講習所設立時に東京女子歯科医学校(現 神奈川歯科大学)から移籍した最初の学生たちを含んでいます。明華女子歯科医学講習所は修業年限半年でしたが、1918年2月27日付で認可された明華女子歯科医学校(各種学校)では修業年限1年に延長され、同年4月に開校すると翌1919年4月には3年制へと逐次延長し、専門学校令による認可、文部大臣指定に向け急速に内容を充実させていきます(修業年数は4年を経て最終的に4年6ヶ月制)。

 頻繁な学則改訂(カリキュラム改訂と修業年限延長)に加え、原簿が失われたことで初期学生の卒業期、人数などの実態解明は未だ断片的ですが、本資料により指定前1回生卒業の時期、人数、氏名の全容が判明しました(正規の高等教育機関である明華女子歯科医学専門学校として1923年以降の卒業証書台帳は現存)。これにより、講習所設立時点の移籍組に、秋山みよ先生ら翌年の歯科医学校開校時の入学者が合流して最初の卒業生となったと推測されます。学則(カリキュラム)が改訂される度に、個々人の進度に応じて相当学年に再配置していることが認可申請書に記されており、翌年以降の卒業になった者もいたことが考えられます。

 なお、この時点の教授者も写真とともに氏名を確定することができました。


 その他、写真627枚・アルバム計5冊をお借りしました。明治30年代から昭和30年代に亘る秋山家の写真記録で、この中には本学史資料として使える写真が含まれています。わけても明華の創立者で解剖実習インストラクター香山明の、昭和10年前後の撮影と思われる写真は大変貴重です。

 これらについては複製完了後、画像を含めあらためて報告したいと思います。


 参考

 3月25日 秋山幸先生来室

 5月23日 秋山幸先生訪問調査

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