東洋学園大学 史料室

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2011年10月7日

卒業生調査1 三重県熊野市:西村歯科医院(旧制東洋女子歯科医学専門学校16回生 西村マホ子様ご遺族)

最終日の見学会はキャンセルして、熊野市を訪ねました。同市は三重県に属しますが、古代行政区分では紀伊国です。駅頭までお迎え下さった西村元宏先生ご夫妻のご案内で、医院にお伺いする前に熊野灘を望む獅子巌と鬼ヶ城の奇観を見せていただきました。ここまで来ると海の色も植生も異なり、全てのスケール感が大きく、「南紀」の地名を実感しました。

景観の美しさと地勢の険しさは同義で、西村先生のご母堂、西村マホ子先生が1937年に本学へ入学した頃は鉄道もなく、交通は沿岸航路や山越えの索道に頼るほかありませんでした。訪問時も台風12号の被害で紀勢本線熊野市駅から先、新宮・紀伊勝浦方面は未だ不通、市内を流れる井戸川橋梁の復旧工事、海岸に漂着して処理の進まない大量の流木を目にしました。

西村先生は今年4月、母堂で前院長のマホ子先生を亡くし、遺品を整理しながら母堂の足跡を辿っている内、ご出身の東京歯科大学の関係で本学園評議員吉田恵美子先生(6月26日他界)ご家族の紹介を得て、当史料室にコンタクトをとられました。

西村歯科医院は1912年にマホ子先生のご父君、西村俊治郎先生が開院した地域(旧南牟婁郡木本町)で最も伝統ある歯科医院です。俊治郎先生は高山紀斉の創設した高山歯科医学院で学び、以来、マホ子先生を除いて東京歯科大一家です。周知のように同大学は現存最古の歯科大学です。歯科大伝統校「旧6」は旧制専門学校当時、全て男子校で女性への門戸は閉ざされていました。

西村マホ子先生は、卒業時に臨床実習成績優秀者として腕時計を授与されていました。これまでの調査で寮運営や戦時防空活動に対する表彰を確認していますが、成績に関する表彰制度は初見です。首席は満州国の留学生でマホ子先生が次席、日本人トップだったと伝わっています。成績優秀者は助手として医局に残るのが通例ですが学内資料にその形跡がなく、不思議に思ったので質問すると水島チヨ教授に残るよう勧められたが、父君の強い希望で帰郷して医業を継がれたということでした。

水島チヨ(チヨ子とも表記)は1942(昭和17)年度教育スタッフの写真で前列右から3人目、本学生え抜き(東洋女子歯科医専の前身・明華女子歯科医専卒)で矯正学が専門、東洋女歯廃止後は東京医科歯科大学に移り、そこで上京した西村マホ子先生と再会を喜んでいます。同大学に17年勤務した後は日赤医療センター歯科部に移り、(おそらく終生現役で)1982年に他界しています。

拝見した資料としては表彰状の他、証書3種(本科卒業、専攻科卒業、学士号)、昭和16年度卒業アルバム(これも初見)、プライベート写真多数です。事前にお送りした『年表 東洋学園史』1937~1941年間の随所にマーカーが引かれて読み込まれていることが窺われ、編纂者としての責務をあらためて感じました。

西村元宏先生も東歯卒業後、成増の駐留米軍に勤務しましたが、母堂の意志に従い郷里に戻ったとのこと。中央で活躍したい気持ちと、臨床家として家業を継がなければならない責務、世代を超えて繰り返される葛藤を垣間見た思いがいたしました。

なお、西村家のご本家筋は医家で、近代に地域の中核医療施設として機能した大正年間築の洋風建築が修復され保存されています(住宅雑誌『チルチンびと』67号 2011年7月風土社刊で紹介されています)。また、遠い一族には文化学院創立者西村伊作がいます。

ご多忙のところ、臨時休院として終日ご対応下さった西村先生とご家族様に御礼申し上げます。

市街地の近くまで海岸線が迫っています。遠景七里御浜の奥は和歌山県新宮方面。
名勝獅子巌の下には台風の爪痕の流木が残されていました。
熊野市の中心、木本町にある西村歯科医院。
西村マホ子先生が亡くなるまで使用されていたユニット。旧制歯科医専卒というと昔のように感じる方が多いと思いますが、現代に生きて常に新知識と技術を採り入れる努力を惜しまれなかったことを実感します。
待合室はマホ子先生の作られた押し花、中学校の校長を務められたご夫君の水彩画、また患者さんの作品でギャラリーのようです。
照明の写り込みを避けて良い角度ではありませんが、マホ子先生の押し花。
遠く隔たった地の歯科医院にも、70年前の1941(昭和16)年10月25日まで、4年半の歳月を本郷元町の本学で過ごされた証は残っています(写真所蔵:西村家)。
修復保存された旧西村医院(久保家住宅)。7月に住宅雑誌『チルチンびと』67号に紹介されてWebでも公開されていますので、ご興味のある方は同誌をご覧下さい。
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