東洋学園大学 史料室

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2011年12月13日

「本郷の歴史と文学」(神田由美子教授)授業補助、旧岩崎邸庭園など。

公開中の「東洋女子歯科医専と元帥東郷平八郎」(1月27日まで)資料所蔵者で東郷平八郎晩年の歯科主治医だった故・入交直重(いりまじりなおしげ)教授は、明治末から大正前期にかけて国内外の歯科医学教育を受けるにあたり、岩崎家(三菱創業家)の援助を受けました。入交直重は『日本歯科評論』1956年1月号で、「親の許を得て明治三十七年九月上京し同郷の富豪岩崎男爵家に無理に書生に使つて貰い日歯へも米国遊学もさして貰い大正七年帰朝」と記しています。

若き日の入交直重先生が書生として住み込んだ岩崎男爵邸は現在、東京都公園協会が管理する「旧岩崎邸庭園」として一般に公開されています。所在地は台東区池之端ですが敷地は文京区にかかることから、文京ミュージアムネットワークにも加入しています。

ジョサイア・コンドルの設計により1896(明治29)年に建った洋館。他に撞球室・和館が残されています。
第二次大戦後の占領中はGHQ/SCAPに接収され、G2(参謀第2部)管轄下の通称「キャノン機関」が置かれていました。鹿地亘事件で機関の存在が露見し、松本清張『日本の黒い霧』などで下山事件など占領期諸事件への関与が今なお取りざたされています。
長い歴史を経て冬空の下に建つ姿はしかし、建築として純粋に美しいものです。
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