2011年度9月 月報
2011年9月10日
日本歯科医史学会第39回総会・学術大会に参加、発表2題。
- 「東洋女子歯科医学専門学校創立期文書について(3):財団法人明華女子歯科医学専門学校設立認可申請書(大正10年)」
- 「東洋女子歯科医学専門学校の文系転換における明治期キリスト教ミッションの影響」
日本歯科医史学会
http://www.jsdh.org/contents4.html
昨年の第38回から引き続き本学の創立期文書として前身の明華女子歯科医学専門学校を扱います。今回はその3として、1921年の旧制専門学校設立認可申請書をとりあげました。本学は公式の創立年を1926年としていますが、同年に東洋女子歯科医学専門学校が成立するまでの経緯を解明しなければ、一見単なる名称変更を「創立」とする根拠が定まりません。
1917年の明華女子歯科医学講習所設置以来、1918年明華女子歯科医学校(各種学校)、1921年専門学校認可、1923年の関東大震災を挟み1926年の文部大臣指定と「東洋」への改組という、明華女歯の急速(過ぎる)発展とその蹉跌を認可書類から読み解きます。
2)は今年度のミニ企画展「東洋女子短期大学の誕生 -第二の創立者 宇田愛とブラックマー・ホーム」で扱っている占領期の文系短大転換を指導した宇田愛(理事長)の、主に明治中期~末期、少女期から婚姻までのキリスト者としての事跡と、その信仰が学校経営に及ぼした影響を報告しました。ブラックマー・ホームは文京区目白台に所在する同仁キリスト教会が明治期から1945年まで設置していた女子寮です。