東洋学園大学 史料室

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2018年10月26日


受贈:東洋女子短期大学英文科23回生(1974年卒)Vancil 早苗様より日本航空スチュワーデス(現キャビンアテンダント)第5~7代制服、日本アジア航空同第2代制服、及び各付帯品(1974~91)、写真など。


東洋女子短期大学時代(1950~2006)の本学はその草創期から平成初期まで、語学(英語)系短大草分けとしてのアドバンテージを生かし、航空会社客室乗務員への高い採用実績を誇りました。

比較的近年の1992(平成4)年度入学案内書は1991年度就職実績を総括して、以下のように記しています。

「(略)外国との取引の増加によって、英語に強い女子社員への需要が高まっています。このような状況の中で、本学卒業生の語学面での評価は高く、貿易関連産業、スチュワーデスなどへの採用が目立っています。また、入社後、国際部門や外為部門などへ配属されるケースも増えています」

同年度の本学卒業生採用数は日本航空10、全日空6、日本エアシステム2、ノースウエスト航空4でした。若い方のため補足すると、日本エアシステムは旧社名東亜国内航空、その後日航と合併して現存しません。

では、Vancil様が卒業した1973(昭和48)年度卒(74年3月卒)の状況を、当時の広報誌紙面で紹介しましょう(下記画像1)。

「運輸関係では最高の伸び率を示し、スチュワーデスは日航、全日空、KLM(オランダ航空)の三社を含め三十数名の者が就職した」、ドルショックの影響は「本学の場合その影響は全く感じられなかった」。日本も本学も実に強く、隔世の感にうたれるばかりです。


半世紀と少し前まで、海外旅行は限られた人のみが体験できることでした。客室乗務員は今も華やかな職業ですが、今日のように空の旅が大衆化し、日常的な乗り物=文字通りのエアバスになる以前は真に高嶺の花でした。昭和期は航空会社、スチュワーデスを題材にしたドラマが幾度か制作され、高い視聴率をとりました。

Vancil様がスチュワーデス第223期として入社された時の日航は、半官半民のナショナルフラッグ(国策会社)でした。民営化された現在とは重みが違います。国際線は日航一社が独占的に担っていました。寄贈いただいたユニフォームは実家の母上が保存されていた由、同社のスチュワーデスになったことをご本人以上に母上が喜ばれたのではないでしょうか。保存状況から、そのように感じました。

パンナム(パンアメリカン航空)のパイロットだったご夫君と結婚され、現在は米国カリフォルニア州にお住まい、5月にご夫妻で一時帰国された際、当室にお立ち寄りになり、今般、日航在職時の資料をご寄贈下さいました。東洋女子短大華やかなりし頃の象徴的資料であり、在学生への訴求力も期待されます。

制服は貸与品ですが、新たな制服への切り替え時に処分を一任される形で(事実上)下げ渡しとなるようです。公開は実物、画像とも権利関係の確認を得てから、現時点では部分的なカットに留めます。


なお、学科名について。ご入学時は英語科、在学中の1973年度から英文科に改称しています。後に1978(同53)年度から英語英文科、2003(平成15)年度から英語コミュニケーション学科と変遷しています。


寄贈者卒業直後の東洋女子短期大学新聞第18号(1974年8月1日)。
就職先に三菱商事、三井物産、伊藤忠、丸紅、日商岩井、日綿実業(現 双日)といった総合商社が並びます。東京銀行、富士銀行、第一勧業銀行、三菱銀行、三井銀行、三和銀行、いずれも都銀ですが、合併に次ぐ合併で一定年齢以下の方には馴染みのない名称になってしまいました。
『東洋女子短期大学新聞』は年1回発行の広報誌ですが、学生新聞と混同されがちだったため(と思われます)、前後は『学園だより』、『東洋学園だより』と称しています。
日本航空スチュワーデス第223期研修修了の日。初々しいです。
森英恵デザインによるこの5代目制服(1970~77)は二着寄贈いただきました。
同日、研修所屋上にて。
上写真の胸ポケットに見えるロゴタイプの現状。
5代目制服の機外用ハイヒール。同デザインでローヒールの機内シューズも併せていただきました。
6代目制服用エプロン(1977~87)。日航の象徴、鶴をあしらったものです。
日本アジア航空2代目制服のスカーフ(1977~80)。
同社は中華人民共和国(大陸)との国交樹立に伴い断交した中華民国(台湾)との航路を維持するため、日航の全額出資で1975(昭和50)年に設立されました。当初は地味なイメージから同社配属を敬遠する空気があったそうですが、実際は客層の良い航路で楽しい職場だった由。南国らしさを出したデザインです。
Vancil様のもっと先輩の方を紹介します。1957(昭和32)年10月15日発行『学園だより』創刊号から。
ウェブ上で事故当時の写真を見ることができますが、人命が失われなかったのは奇跡的と思われる状況です。後遺症に悩まれていることが窺われますが、職務に対し真摯に取り組んだ卒業生らの積み重ねによって高い評価を得ていったことを知っていただきたいと思います。
同記事を含む紙面、時代の空気がよく伝わります。本紙面は『東洋学園八十年の歩み』にも掲載しました。
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