東洋学園大学 史料室

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2014年12月6日


往訪:旧制東洋女子歯科医学専門学校25回生・森晃子先生(旧安田楠雄邸庭園:文京区千駄木)。


 史料室担当者は2006年6月17日に開催された東洋学園大学ことばを考える会・教養教育センター共催の森まゆみ先生講演会「壱岐坂周辺の文学者たち 一葉・子規・?外・賢治」のお手伝いをしたことがあります。同じ年から大学史に携わり、森先生のご母堂森晃子先生が旧制東洋女子歯科医学専門学校の最終25回生であることを知りましたが、それから8年の年月が過ぎました。

 11月27日にあった文京ミューズフェスタ(開催12月18日、後述)の打ち合わせで、旧安田楠雄邸庭園運営スタッフでパイプオルガン奏者、谷根千工房主催者の一人である仰木ひろみ様とお話する機会があり、森晃子先生の次女と伺いました。そこで仰木様のご理解を得て、旧安田邸ボランティアスタッフとして働く森晃子先生をお訪ねしました。区内千駄木にある東京都名勝・旧安田楠雄邸庭園は、日本ナショナルトラストの保護資産として「たてもの応援団」(特定非営利活動法人文京歴史的建物の活用を考える会)により一般公開されています。

 旧安田邸をボランティアの方のご案内で拝見した後、スタッフ控室に森先生を訪ね、生い立ちから学生時代、卒業後に学校の紹介でGHQ第361病院(同愛記念病院接収)に勤務し、ご結婚されるまでを伺いました。


 旧制の卒業生、ご遺族、教員ご遺族には百名以上に亘り聴取してきました。森先生のお話は占領期の津田沼校舎を舞台に、同時期に在学した23~25回生と旧制高校生が多数出てきます。これらの人々には既知の方も多く、懐かしい思いがしました。また、人やできごとに別の視座を得ることは、客観性を高めることになります。

 先生の語り口には東京生まれ、東京育ちの都会的洗練が感じられ、生き生きした人物描写は文筆家を輩出した血筋ならでは(姉上はJOAKのアナウンサーから作家に転じ、『文壇資料 本郷菊富士ホテル』などで知られる近藤富枝先生。NHK朝の連続テレビ小説『本日も晴天なり』主人公のモデル)。

 旧制東洋高校の男子学生に「エネルギータンク」のあだ名で呼ばれた面影を残し、上品な裡に精神の活気漲る森先生でした。半生の記はいつかご自身の手で、あるいは森まゆみ先生から、何らかの形で発表していただけないかと思いました。


築1919(大正8)年の旧安田楠雄邸庭園(正面奥の建物)。部屋ごとに意匠を凝らした建築で庭の紅葉も美しく、大勢の見学者で賑わっていました。
ボランティアスタッフが結集することで、「組織としての力」を感じる精力的な展示公開活動が印象的です。
当日伺った数多のエピソードの中から一つ。『最後の旧制高校、東洋高等学校』(2012年)で紹介した野外コンパ(写真蔵:故東洋高校OB田口太郎先生*眼科医)。
このコンパは森先生が企画したそうです。同じ冊子に掲載した写真のトラックに豚汁の材料を積み込み、出かけた先の旧練兵場にはタコ壺(個人壕)が残っていて、落ちた人がいたと伺いました。
25回と東洋高校OBの結婚事例も伺いました。田口先生と同郷の小児科医、羽石正三先生の夫人が24回生で、歳が近いことから24・25回生と高校生の仲が良かったことが窺われます。歯科医専最後の25回生の入学が1946年、翌47年が高校1回生でした。
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