東洋学園大学 史料室

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2013年8月31日(8月末~9月初)


文京区本郷2丁目の福士邸解体。


 本学より1ブロック隔てた至近の福士邸が解体されました。

 福士政一先生(1878~1956)は東京帝国大学医科大学を卒業し日本医科大学教授など、本学には1921(大正10)年2月付の明華女子歯科医学専門学校設置認可申請書に「病理学総論」担当として初出(この時点では明華女子歯科医学校、旧制専門学校認可は同年12月21日付)、以後1950年の東洋女子歯科医学専門学校閉鎖まで一貫して病理を担当されました。

 本学における身分は兼任講師ですが、解剖学の井上通夫先生(本務校:東京帝国大学医学部)とともに諸行事には律儀に参加され、学生にとっては基礎医学で必ず教わる専任・兼任の区分を越えた印象深い教育者でした。

 福士邸は元、明治前半を代表する文部官僚辻新次(1842~1915)男爵邸で、最も古い和建築は 1872(明治5)年、洋館が1873年、洋風新館は1908年の築と聞きます。福士先生が移り住んだのは震災後の1926(大正15)年と伝わり、本学では明華から東洋に名称変更して文部大臣指定認可を得た年(公式創立年)にあたります。

 ご子孫が管理されるプライベートな空間ではありますが、戦災で旧制期の建築を失った本学にとっては唯一、ゆかりがあり現存する戦前の遺構として特別な思いがありました。2011年の震災で瓦が落ちた様子が外からも窺われ、これ以上の維持は難しかったようです。ウェブ上の情報によれば、1996年の一部解体に伴う調査で、天井の下張りから1873(明治6)年の日付のある大学南校(現 東京大学)の便箋などが見つかったということで、文教の地、本郷にとっても近代教育史の貴重な遺産だったと思います。


福士政一先生(1943年卒業アルバム所収)
2012年2月撮影。この時点で工事のためか樹木の枝が剪定されましたが、以前は都心にあってうっそうとしたヒマラヤ杉が印象的でした。
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