東洋学園大学 史料室

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2013年5月9日


受贈:田中美和様(東洋女子短期大学33回生・欧米文化学科1回生)より欧米文化学科関係資料。


 東洋女子短期大学同窓会のご厚意で同会会報に毎年、記事を掲載させていただいています。本年は資料提供の呼びかけをしたところ、多数のお問い合わせをいただきました。

 例年200点前後の資料を収集していますが、9割方は旧制歯科医専・旧制高校に関するものです。戦後の短期大学資料、特に1970年代以降は潤沢に保有していますが、教授会などの議事録や『紀要』、『研究室だより』といった公式文書資料に偏り、学生生活に関するものは少数です。資料は部署ごとに保存していますが、文書保存規定が形骸化して各部署ごとの判断に任されているのが実情であり、定期的に非現用文書が史料室に移管されるシステムはできていません。

 新制短大卒業生に短期大学時代も保存の対象であることをお伝えし、学内では得られない資料を求めての呼びかけでした。短大は近年まで存続したので、歴史の範疇へ含むには新しい時代も含まれ、1970年頃までを対象としている常設展示にすぐ用いるものではありませんが、散逸する前に収集しておきたいという意図によります。


 最初にお問い合わせいただき、資料をご恵贈下さった田中美和様は欧米文化学科1回生です。比較的新しい同学科卒業生による資料提供は初、内容も上記意図にぴったり沿うものでした。

 欧米文化学科は1982(昭和57)年4月、流山キャンパスに設置された東洋女子短期大学二番目の学科で、長らく本郷の英語英文科(←英文科←英語科)単科だった本学「総合大学」化の嚆矢です。1992(平成4)年に設置された当初の東洋学園大学人文学部は、短大両学科を発展させた英米言語学科と英米地域研究学科で始まっています。

 欧米文化学科は地域研究の手法を採用し、キーワードは「英語を学ぶ」から「英語で学ぶ」への移行で、授業は全て英語で講義するように構想されました。開設後間もなく全科目英語講義から後退はしましたが、語学教育を重視する短期大学~現大学を通じてエポックメイキングなできごとであり、今日もその追求は行われています。その点からも欧米文化学科の設置は意義深いできごとでした。


同窓会報に「ささいなもの、例えば日常の時間割や定期試験の時間割、通学定期券」と書きましたら、まさにそれらが届きました。
昭和58(1983)年度欧米文化学科2年Sクラスの授業時間割表です。クラスは当初、英語英文科から通しだったことが分かります。わずか30年前ながら、手書きとゴム印、ナンバリングマシンによる表と、シンプルなカリキュラムに隔世の感を抱かざるを得ません。1コマに複数科目あるのが選択科目です。
専門科目においては1年次に必修で「総合研究アメリカ」「総合研究イギリス」を修得し、2年次で各分野別研究を選択必修で履修します。もちろん今日のセメスターやクォーターと異なり、全科目通年科目です。
四年制大学と異なり、時間的余裕のない短期大学では、最終学年でも第二外国語や一般教育科目が開講されていました。
これまた手書きの厚生就職課(当時)による就職資料。「自宅外で就職可能」とは、今の学生は理解不能かもしれませんが、当時は親元を離れた未婚女性に対する偏見がまだ残っていました。採用を自宅通学生に限る企業の方が多かったほどです。
ここに列挙された企業は、今は失われた名称もありますが大手企業ばかりです。就職に強いことが短大最大の特徴であり、利点でした。ただ、これも男子=総合職、女子=事務職という差別の下での実績であり、男女雇用機会均等法で男女間の差別が(表向き)撤廃され、さらに平成以降、打ち続く不況で事務職が非正規雇用に置き換えられると、短大進学のメリットは急速に失われました。
国鉄の高円寺・新松戸間と総武流山電鉄幸谷・鰭ヶ崎間、通学定期券各2枚です。当時、国鉄の大都市部(国電区間)と私鉄大手は紙から磁気券へ切り替わりつつあり、時代の断面をよく表しています。後に国鉄は分割民営化されてJRとなり、総武流山電鉄は愛称だった流鉄を正式な社名に変更しましたが、後者は自動改札、パスモとも未導入で、現在も窓口では硬券を常備しています。
2004(平成16)年度よりJR南流山駅と流山キャンパスを結ぶスクールバス(東武バスイースト委託)が運行を開始し、翌年にはつくばエクスプレスも開業、地元企業の流鉄を利用する学生・教職員は激減しました。時代の趨勢とは言え、地域社会に対し遺憾に思うところです。
2年次の学生証(裏面)。個人情報が記載された表面は略しますが、これも手作業の発行です。データベース(ファイルメーカー)を利用した学生証発行の機械化は1992(平成4)年度からでした。
「モットー」が懐かしいです。この「モットー」が定められた経緯、時期は不明です。機械発行化でサイズダウンした際、時代にそぐわないとして削除されました。
教科書類。手前中央『クリエイティヴ ライティング THE ART OF NEWS & AD-COPY WRITING』(研究社出版 初版1964年)著者の一人、住野喜正先生と、手前右端“Up From Slavery”(北星社 初版1960年)の編註者木内信敬先生は欧米文化学科創設メンバーです。
英米を中心とする地域研究学科の構想は両先生のほか、伊東克巳、相良亨先生らによって固められました(伊東克巳:早稲田大学名誉教授 木内信敬:千葉大学教養学部長 相良亨:東京大学名誉教授 住野喜正:毎日新聞東京本社『英文毎日』主筆)。
木内先生は第二代学科長を経て1991(平成3)年から1996年まで第四代学長を務めています。在任中の1994年に勲三等旭日中綬章を受章しましたが、健康を害して1996年9月14日、任期途中で退任、同年10月9日付で名誉教授の称号を贈られました。
そのほか第19・20回フェニックス祭(学園祭)パンフレット、『研究室だより』第14号などをご提供下さいました。この場を借りてあらためて御礼申し上げます。
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