東洋学園大学 史料室

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2010年12月16日

来室: 保坂義雄様・宗子様(東郷平八郎元帥ご曾孫)夫妻、入交重道様。

 史料室では3月15日までミニ企画展「元帥東郷平八郎と東洋女子歯科医学専門学校」で、元帥の使用された総義歯を展示しています。本日は同展ご見学のため、元帥直系ご曾孫の保坂宗子様、義雄様ご夫妻が来室されました。ご夫君は医師(医学博士)、宗子様は講演や日本海海戦(1905年)時のロシア海軍バルチック艦隊司令長官ロジェストヴェンスキー提督ご子孫との交流などで、日露友好にご貢献されています。
  資料所蔵者である歯科医師で元日本歯科医師会常任理事の入交(いりまじり)重道様も来室され、保坂様ご夫妻と本学理事長、学長、副学長に来歴をご説明下さいました。入交様のご父君は東洋女子歯科医学専門学校教授・附属病院長・(社)日本歯科医師会第2代会長の故入交直重先生で、東郷元帥や吉田茂首相の歯科主治医でした。
  戦前、元帥の総義歯は資料として本学(東洋女子歯科医学専門学校)に保管されていましたが、戦争末期に東京空襲が予想される情勢に至って入交家に引き上げられました。本学は1945年4月13日深更~14日未明の空襲で被災全焼しましたが、大曲(新宿区)の同家は終戦まで爆撃を免れました。戦後は横須賀に保存されている記念艦「三笠」、つまり日露戦争当時の連合艦隊旗艦であり、東郷長官座乗の戦艦「三笠」に寄託されていましたが、入交家のご厚意で本学に移りました。
  なお、本学創立者・宇田尚先生の甥、宇田儉一(けんいち)医学博士はシベリア出兵の際、海軍軍医として海防砕氷艦「見島」の乗り組みでした(1920年)。この艦が日本海海戦で鹵獲したバルチック艦隊第3艦隊(ネボガトフ少将指揮)の海防戦艦「アドミラル・セニャーヴィン」でした。宇田儉一は後に東洋女子歯科医学専門学校の講師も勤めています。

中央、保坂義雄様、宗子様ご夫妻。右端は入交重道様。
右から二人目は江澤雄一学校法人東洋学園理事長、左端より一ノ渡尚道学長と原田規梭子副学長。
担当者より展示内容をご説明申し上げました。
横須賀に保存されている日露戦争当時の連合艦隊旗艦、戦艦三笠と東郷平八郎元帥像。
9日記事の『少年倶楽部』附録「軍艦三笠」と比較して見ると興味深いと思います。圧倒的な実物の存在感、79年前のペーパーモデルの巧みさ、どちらも素晴らしいものです。

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