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2010年10月9日

大分県中津市在住の東洋女子歯科医学専門学校6回生・川嶌ミツヱ先生(101歳)を訪問。

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2010年7月28日

最終日は大分県です。中津市には6回生・川嶌ミツヱ先生がご健在です。これまでも度々報じましたが、ご子息である川嶌眞人先生は整形外科病院を中心に脳神経外科、広域リハビリテーション支援センター、介護予防事業など大分県北(中津下毛圏)の医療に多大の貢献をされつつ、医学史にも造詣が深く日本医史学会でご活躍されています。また、蘭学と医学の伝統を誇る中津の歴史を掘り起こして多くの著作を成し、史料館の設置や講演活動で地域の文化、教育にも大きな貢献をなさっています。

これは本学の広報室部長の撮影(2009年)、側面からですが川嶌整形外科病院の全容です。
数日前まで40度の高熱を発しておられたということで、病床での面会となりました。右は川嶌眞人先生です。
順調に快復されているということで何よりです。ミツヱ先生もまた、母校・東洋女歯の後身が健在と知って大いに喜ばれ、気力を沸かせたということです。今年のお正月もしっかりした字で書初めをされ、その書が飾ってありました。
院長先生に院内をご案内いただきました。川嶌整形外科では骨・関節感染症、関節外科、スポーツ医学、高気圧医療に力を入れ、全国から患者を受け入れています。
高気圧医療のための大型高気圧酸素治療装置。先生は2008年、第3回日米宇宙・潜水・高気圧環境医学合同学会を主催されています。
その前に病院職員の方のご案内で、中津の蘭学と医学、歯科医学に関する史跡を見学させていただきました。ここは奥平氏居城の中津城です。天守楼上には川嶌先生による中津の蘭学と医学の歴史展が公開されています。
城内には日本の公許歯科医第1号である小幡英之助像が立っています。
小幡英之助は福澤諭吉を補佐し、慶応2年から4年(明治元年)まで慶應義塾第三代塾長を務めた小幡篤次郎の甥に当たります。
すぐ近くには福澤諭吉「獨立自尊」の碑が屹立しています。
中津市指定文化財、史跡小幡篤次郎・英之助生誕の地(建物は後世のもの)。
福澤諭吉居宅。
中津の蘭学・医学史について伺いながら川嶌先生とお昼をご一緒させていただきました(バランスのとれた病院食に豊後水道の鯛、鱧(はも)の刺身など。ごちそうさまでした)。その時のお話の一つが、世界初の全身麻酔手術を成功させた華岡青洲の弟、華岡良平(鹿城)の医塾に学んだ中津藩医・大江雲澤(うんたく)でした。川嶌先生が和歌山県の青洲ゆかりの地を訪ねた折、最寄りの駅で麻酔の主成分となったマンダラケ(曼荼羅華=チョウセンアサガオ)が栽培されているのを見て、駅長に頼んで株を譲ってもらったそうです。庭でその青洲ゆかりのマンダラケを見せていただき、種を譲って下さいました。写真は後掲の大江医家史料館薬草園で花をつけていた同草。
 
大江医家史料館は川嶌先生のご尽力で、2004年に開館した中津市歴史民俗資料館分館です。建物は大江家の家屋兼医院が修復の上、保存されています。
大江雲澤の書、川嶌先生の著書のタイトルであり座右の銘でもある『医は仁ならざるの術、務めて仁をなさんと欲す』(醫不仁之術 欲務為仁)が残されています。前野良澤もまた中津藩医でした。従ってここには『解体新書』、『重訂 解体新書』初版本、また華岡青洲肖像画や歯科の小幡英之助などに関する貴重な史料が多数保存、展示されています。
神戸の学会に赴く川嶌先生夫妻と車に同乗して、鷹匠町の大江医家史料館まで送っていただきました。ご多忙のところ貴重な時間を割いて下さった川嶌先生に御礼申し上げます。
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