東洋学園大学 史料室

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2011年2月22日

  • 旧冨士屋制帽店 野本コレクション「文京区内学校の帽章とバッチ」展企画・主催者野本ヤス子氏より、展示を観覧した本学卒業生(旧制東洋女子歯科医学専門学校、旧制高等学校)について情報の提供。
  • 本学本郷キャンパス1号館フェニックスホールを会場に、偕行社安全保障問題公開シンポジウム開催。主催者、参加者を対象に『習志野時代の東洋学園と陸軍戦車第2連隊 1946~1950』を執筆、配布

昨年の同シンポジウム(リンク2010年2月12日)での資料配布に引き続き、本年も本学と旧軍との関わりに視点を置いた資料を作成しました。昨年は明治期以来の人の関わりを、今年は1946年~1950年の津田沼校舎時代とその時期のできごとを紹介しました。津田沼校舎は千葉県千葉郡津田沼町大久保19番地(現、習志野市泉町1-2-1と船橋市三山2-2-1)に所在し、終戦まで戦車第2連隊(秘匿名東部第9部隊)駐屯地でした。さらに遡れば同地は日露戦争中、秋山好古が旅団長を務めた騎兵第1旅団隷下の騎兵第14連隊が置かれた場所でした。

津田沼校舎は国有地の借地でしたが、新制歯科大学設置構想では津田沼の正式な払い下げを受け、こちらを主たるキャンパスに、本郷は附属病院のみとして機能させる計画でした。

また、司会を務めた学校法人東洋学園理事・本学客員教授冨澤暉(元陸上幕僚監部陸上幕僚長)より、東洋学園常務理事・顧問だった故・榊原主計(陸士35期)について、「榊原主計大佐と東洋学園大学との関係」が配布されました。

偕行社:安全保障問題研究会(記事第11回は昨年の報告)
http://www.kaikosha.or.jp/anzenhosyo/anpoken-seika.html

表紙には津田沼校舎の校門をあしらいました。戦車第2連隊営門のまま、看板だけ架け替えたものです。戦前の図面と学内に残る校舎配置図を照合すると幾らか建物が減っていますが、戦争末期に空襲被害を軽減するため、間引いたことによるものと思われます。
見返しに現状の定点写真を掲載しました。同地は現在、日本大学生産工学部になっています。同大学の許可を得て2007年に取材、撮影させていただいたものです。
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