東洋学園大学 史料室

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後期特集展 没後50年 東洋学園創立者 宇田 尚 ―自彊不息の生涯―

2016年 創立90周年/2017年 前身校開校100周年 記念シリーズ5(終
没後50年 東洋学園創立者 宇田 尚(うだひさし) ―自彊不息(じきょうやまず)の生涯―

創立期展の終わりに

創立期シリーズの終わりにあたり、学校法人東洋学園創立者・宇田尚(うだひさし 1881~1968)をとり上げます。

本シリーズを通じて見てきたように、明華女子(歯科医学講習所→歯科医学校→歯科医学専門学校 1917~1926)から東洋女子への改称を経た1926(大正15)年11月4日の文部大臣指定認可=“東洋学園創立”は、理想を掲げて一人の教育者が立ち上がるという、一般的に想像される私学創立神話とは様相を異にします。

では、なぜ、宇田尚は創立者なのか。

端的には教育者、指導者としての器量が、没後の宇田尚を創立者たらしめた淵源でしょう。

宇田尚は旧制第一高等学校、陸軍幼年学校の倫理学教授だった父、宇田廉平の唱えた儒教的武士道倫理(日本精神)を継承しました。「科学教育を女性に施すに徳操の練磨を基」とする教育方針で臨み、それが昭和戦前期の社会に迎えられました。宇田校長指導下の本学は紛争に明け暮れた前身校時代から一変し、統制が行き届きながら家庭的な暖かさもあり、経営面では先行していた競合校を圧倒しました。

敗戦によって宇田尚の拠って立つ思想は否定されましたが、それは保守主義の底流に流れ続けました。戦後70年以上が経過した今、その封印を解き、客観視を試みたいと思います。

自ら彊(つと)めて息(や)まず、「不屈の精神で再三の難事を克服」してきた宇田尚の生涯を展示と解説書で通観します。

*馬渡 房「父、宇田尚の思い出」1984年

槃山 自強不息(ばんざん:宇田 尚 じきょうやまず)

本来は自彊不息。易経の「天行健君子以自彊不息」(天地の運行には休みがなく君子も自ら彊(強)めて怠ることがない)。明治人・宇田尚の生涯は自彊不息そのもの。後継者はこの言葉を建学の精神としました。

宇田 尚

1881(明治14)年、東京府下谷区竹町で生まれ東京、奈良、栃木で育つ。日露戦争・旅順要塞攻撃における野砲運用で功績を立て、戦後は北白川宮成久王に仕える。

1926(大正15)年以降、財団法人東洋女子歯科医学専門学校(現 学校法人東洋学園)理事長・校長の他、財団法人斯文会(湯島聖堂)理事、北京臨時政府教育部顧問、徳富蘇峰が設立した財団法人青山会館館長などを歴任。1968(昭和43)年86歳で逝去。

女婿で東洋女子短期大学学長を務めた愛知揆一(1907~1973)は蔵相、外相、文相、法相、内閣官房長官を歴任するなど、後継者にも恵まれた。

会場  東洋学園大学本郷キャンパス4号館6階 東洋学園史料室
アクセス
会期  2017年12月11日(月)~2018年5月25日(金)
月~金(平日) 9時30分~16時30分
休館 土日祝、12月26日(火)~1月5日(金)、2月16日(金) 、3月2・9・16日(金) 5月1・2日(火・水)
出展
  • 宇田尚著書 『日本文化に及ぼせる儒教の影響』(1935年) など
  • 宇田尚所用トランク(海外出張に使用)
  • 宇田尚書 「歯は瓠犀(こさい)の如し」/川上みね教授・付属医院長への弔辞
  • 書簡 山下奉文より宇田尚へ など
  • 写真 北白川宮成久王、竹田宮、東久邇宮、朝香宮と宇田尚 1907~09年頃 など
観覧・解説書(本文56ページ) 無料
本展チラシ(PDF)

宇田尚・愛夫妻

学校法人東洋学園理事長・東洋女子短期大学学長(1984年) 馬渡 房「父、宇田尚の思い出」

父は所謂進歩的な女性解放主義者ではありません。むしろその時代の女子教育者の多くが唱えていた良妻賢母教育と目的は同じであったかも知れないと思います。しかしその家政万能の良妻賢母教育が現実の社会では女性にとって大きなハンディとなり、これがいつも良妻賢母をおびやかし、家庭の幸福を破壊する原因になっていると指摘しておりました。女性の天職は良き母、良き妻であり、家庭の中心は主婦でなければならないということを何時も念頭に置き乍ら、その上に女性は職業を持ち、家事、育児と両立させ、立派にやり遂げることこそが、良き伝統の中から生れた、新しい時代に相応しい良妻賢母の女性像であると信じておりました。この現実の社会と理想の社会とをしっかりと調和させ、これを実現していこうとする考え方、この理想の中に儒教的精神があったのではないかと考えております。歯科医師が社会的地位も高く、経済的にも安定できる職業であり、しかも往診のない医師であるので、比較的家事、育児と両立することに大きな期待をかけ、理想の実現を目指し、歯科医専の仕事に心血を注いで来たものと思います。(前後略)

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